2011年5月21日土曜日

ただ、悩む


人生は悩んでばかりである。今日はそんなぼやき。(はずかしい内容)

京都に来て8年目。まさかこんなにも長くこの街にいることになるとは思わなかったが、現在の仕事も残すところ11ヶ月程となり、そろそろ今後の事を考えなければならない。

「何になりたいの?」という質問をたまにされる事がある。陶芸家?芸術家?思想家?教育者?システムエンジニア?グラフィックデザイナー?正直何一つとして「それです。」と言えるものはない。そういう固有名詞は、単なる認知のための標識にすぎないという考えがずっとあるし、職業に限らず、それに固執して頭の固い人を見ると、こうなりたくないなとつくづく思う。様々な境界(人がつくったもの)を飛び越えていく人間こそが本来の人間のあるべき姿なのではないか?
一方でこの言い種は、“何か一つに決めきれない”“勝負を仕掛けられない”言い訳なのではないか?と思う時がある。自分は器用貧乏でそれなりに何でもこなせるが、何においても突出しない。「自分は何がしたいのか?できるのか?」という状態によくなってしまう。

しかし、人にとって最も大切な事は何か。どんな生活をするべきか。どのような事を世の中に訴えていきたいか。などは明確である。それは生きていくためのコアであり、思春期に与えられた人生の課題だ。中学生の頃からずっと考えているし、考えを更新していくために、様々な土地を周り、様々な人に会ってきた。それは今の自分の自信になっており、すべての判断基準もそれに則している。

はて?では何を迷っているのか?
結局は、社会的に様々な責任を負うべき年齢になってきて、同世代との比較やお金がすべての物差しになっている世間に対して焦りを感じてしまっているだけなのだ。わかりやすく今私はこんな事をして、これだけ稼いで、こんな将来像をもっていますよと言わないといけない気がしていただけなのだ。人から見える表層の部分は、どうしても気になってしまうものだ。書きながらわかってきた。
 自分に正直に動いていけば、目の前に進むべき方向、乗り越えるべき課題、守るべきものは出てくるだろうし、それをこなしていくしかない。すべては諸行無常であって、いくらプランニングしたってうまくいかないことだらけだ。それは自然の真理
で、人間が自然だからどうしようもない。

なぜ、悩みだしたかといえば、自分とはどんな人間なのかをまとめて文章化し、外国に送る必要があるからで、それがうまく行けば外国に行けるかもしれないからである。そう、すでにやるべき事は目の前にある。

でもね、弱気にもなってしまいますよね。それが人ですよね。(笑)

4 件のコメント:

  1. この写真の場所はどこですか。

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  2. 四国に剣山という山があります。標高1955m、四国で二番目に高い山です。
    山頂に山小屋があり、宿泊する事が可能で、頂上付近には写真のようなウッドデッキが作られています。途中までリフトもありますし、比較的登りやすい山です。

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  3. ありがとうございます。
    どの時期にいけば、このような状態になりますか??
    時間は何時くらいですか??

    この山に登りたいです。

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  4. 僕が行ったのは8月ですが、この雲海が見れるかどうかは運次第だと思います。
    写真の日も、こんなにきれいなのはめずらしいと言われました。
    また、この夕焼けを見たい場合は、山小屋への宿泊が条件になってきます。

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