2013年8月31日土曜日

ホワイトホース→カーマックス (ByカヤックPart2)



2013831日 ホワイトホース→カーマックス (ByカヤックPart2)


カヤックの旅を初めて4日目。前日の好天が嘘のように朝からまた雨が降っている。前日にせっかく乾いたテントやアウターその他もろもろはまた水浸しだ。手が冷えて寒い。1日中休むことなく漕いで夕方ユーコン川との合流地点へ。一気に川幅が広くなる。本日も川の中洲でキャンプ。中洲と言ってもかなり大きな島だ。島の中央にはいつの時代のものなのかボロボロの大きな船が放置してあった。雨の中テントという閉ざされた空間で外の雨音を聞いていると色んな音に聞こえる。大きな獣の足音に聞こえ、恐る恐る外に顔を出すと何もいない。しかし自然の音をこうしてちゃんと聴くという行為をあまりしてこなかった気がする。この音の聞こえ方は幼少の頃に近い。本日漕いだ距離60km

5日目、朝起きると辺りは霧に包まれ真っ白だ。そんな中をカヤックで進む。とても妖艶で幻想的。今にもギーギーと音を立てながら幽霊船が現れそうな空気。11時頃になると太陽が出てきて霧が晴れる。顔の片側だけに日が当たり暑い。あれだけ太陽を求めていたのに勝手なものである。ユーコン川は流れも早い。力を入れなくともパドルは水を掻きどんどん進んでいく為、予定よりかなり早く今日のキャンプ地に到着する。雨が降っていないので2回目の焚き火。細かな木や落ち葉から始め、熱量が上がるにつれ大きな木をくべていく。自転車のギアと一緒。火遊びをはじめると止まらなくなるもので、気がつくと5時間も経っていた。火を見ながら1年間の旅を振り返ったり日本の友人や家族のことを考える。その夜、火遊びをしすぎたためか夜中にトイレに行きたくなる。ダウンを着込み外に出ると夜空が緑に光っていた。人生で初めて見るオーロラ。スウェーデン人の友人の言葉を思い出す。「オーロラなんて空が光ってるんだからクラブと一緒よ。」しかし、実際のオーロラはクラブとは違っていた。風になびくカーテンのようにゆっくり揺れるそれでは、僕は踊れない。

6日目。本日も好天。前日目的地に早く着きすぎてしまったので、朝のんびりしてから1100出発。ユーコン川に入ってから、かなり広範囲に渡って木が丸焦げになった山火事の跡をよく見かける。乾燥したこの地域では太陽光や雷からすぐに発火し瞬く間に火が広がっていくのだろう。自分と同じような旅人の火の不始末が原因のものもあるかもしれない。気を付けよう。流れが早いのでパドルで漕ぐことも止め、ただ流れていく。川はただ単一的に流れているように見えて、その中に流れが急な場所や全く流れがない場所など様々な顔を持っている。それは全て地形が作り出すもので、そういった地形と流れの関係を考察していると実に面白い。テキストからではなくこうして体験から学ぶことは自分の真の力になっていくような気がする。この日も夜遅くまで焚き火。インドのヴァラナシの火葬場で見た死体から液体が勢いよく吹き出る瞬間を思い出す。火はいつも生と死の狭間にある。

7日目。このカヤックの旅も残すところあと2日。明日は2時間ほどしか漕がない予定なので、1日川の中で過ごすのは今日で最後だ。朝食後、前日同様ただ流されていく。適当な時間に昼食をとりまた流れていく。15時頃、ゴールまで残り20km地点に到着。最後のキャンプだ。ここは風が強い場所のためか、以前キャンプをした人が石を積み上げて風よけを作った焚き火跡が残っていた。まだ時間も早く、暇を弄んでいたので、その焚き火跡を使い簡易的な窯を作る。その窯の煙突部分に鍋を置けば、水はあっという間に沸騰する。この窯を相手にまたひたすら火遊び。どんどんと熾を貯め温度をどんどん上昇させていく。「お…面白い。」大学で4年学び、さらに4年間陶芸に関わってきたのに、この旅の中であまり陶芸に関して考えてこなかった。しかし、こうして目の前の火と格闘しているとどんどん感覚が戻ってくる。人類は火をコントロールするようになったからこそ今の繁栄があると思う。そして有機質の粘土をその中に入れれば、それは無機質で永久的に形の残る塊へと変化する(だからこそ世界中どの博物館にも土器がある)ことを発見した。まるで錬金術のようなその行為はこうして未だに人々の心を捉えている。「ああ、窯が焚きたい。」陶芸をやったことのある人間なら分かるあの特別な時間。旅の最後にぐるっと一周して同じ場所に帰ってきたような感覚だ。止め時がわからなかったが(ゼーゲルも色味も入ってないので)、あまりに温度が上昇しすぎて窯が崩れて終わった。

最終日20km2時間漕いで、カーマックスという村に到着。車の音さえもやけにうるさい。そこから車をヒッチハイクしホワイトホースまで帰る。僕を拾ってくれた同じ歳の女医はめちゃくちゃ車を飛ばすので、8日間かけて水力と人力で進んだ距離をたった2時間半でホワイトホースに戻ってしまった。街は人工の音に溢れ、人もたくさんいる。風に揺れる木の音もなかなか耳まで届かない。魔法が溶けてしまったような感覚。この8日間は川と森と動物と火と僕だけの世界だった。時が経つにつれこの時間がいかに貴重なものだったのかわかってくるだろう。でも、もしまた来たければこればいい。それだけだ。

※短い期間に色んなことを感じ、考えていたため長い文章になりました。最後まで読んでくれてありがとうございます。


2013年8月23日金曜日

ホワイトホース→カーマックス (ByカヤックPart1)



2013823日 ホワイトホース→カーマックス (ByカヤックPart1)


スキャングウェイからBoards of Canada を聴きながらBorder of Canadaへ。北国の透明感のある太陽光といかにもカナダという大自然に電子音がよく合う。4時間後ホワイトホースに到着。ホステルに向うが本日はベッドがいっぱいと断られてしまう。「テントサイトなら空いているから、今からホームセンターで安いテント買ってきなよ。」とスタッフにアドバイスを受ける。30分歩いてテントを買いに行くが運悪く売り切れ。時間も遅かったので他のお店も閉まっており途方に暮れてしまった。ホステルに戻り、今日はしょうがないから野宿をすると伝えると近くに住むという友人(ジャマイカ人)に電話をしてくれ、運良くその家に泊めてもらえることになった。その晩ジャマイカ人とふたりでアバターを見る。画面に対して毎回大きなリアクションをする彼を見ていて映画の見方にも育った環境なんかで違いがあるのだなーと思いながら眠りについた。

このホワイトホースに来た理由は、ユーコン川を船で下るためである。つい最近までそんな計画は立てていなかったのだが、メキシコシティで会った旅人がこれからカナダに向かい2週間かけてユーコン川をカヌーで下る計画を話してくれた。ユーコン川がカヌーイストの聖地だということは知っていたが、それは凄腕の人たちが最後にたどり着く場所だと勝手に思い込んでいた。話を聞いていて、素人でもできるのであらばと自分もいつの間にかやる気になっていた。その友人は僕がこの街につく1日前に既に川に入ったらしい。早速僕も準備に取り掛かる。レンタルカヌーショップに行くとカヌーは全て出払っておりカヤックなら貸せるという。少し割高だが待っている時間もないので僕はカヤックでユーコン川の支流テスリン川からスタートし、途中ユーコン川に合流、8日間かけてカーマックスという街まで下る計画を立てた。カヌーに比べカヤックは積載できる荷物の量がかなり限られるので悩みに悩んで8日分の食料や自分で持っていない様々な道具を買い揃える。準備だけでまる一日かかり既にクタクタになってしまった。出発前夜色々と考え出すと不安でなかなか寝付けない。一度川に入ってしまえば、ゴールの街まで人の住む街はおろか道さえも川とは接しない。何かあれば同じ様に川を下っている旅人か、上空を飛ぶ飛行機にSOSをするしかない。もちろんここは熊をはじめとした野生動物がわんさか生息するエリアだ。食料をけしてテントの近くに置かないなど注意することは山のようにある。そして全ては自己責任だ。レンタルショップはあくまでレンタルショップであって、カヤック素人の僕に手厚くレクチャーをしてくれるわけでもないし、何の保証をしてくれるわけでもない。

翌日、川岸まで車で送ってもらいいよいよカヤックの旅が始まった。パッとしない曇り空の下パドルをどう動かせば船がどう動くかを色々と実験してみる。なかなか真っ直ぐ進んではくれない。初日は30kmを漕ぎキャンプをすることにした。しかしキャンプ地に選んだ河原には無数の熊の足跡がついている。今まで見ていたブラックベアのものよりはるかに大きいこの足跡はグリズリーのものだろう。気持ちに余裕もないのでインスタントラーメンを作り19時には寝袋に入る。一晩中、外で音が鳴るたびビクッとして起きる。

2日目、朝から雨が降っている。テントをたたむのも食事を作るのもすべてが億劫だ。しかし、一向に止む気配がないのでずぶ濡れになりながら支度をし、9:00出発。前日よりも少しだけ余裕が出てきた。ハクトウワシやカワウソ、ビバーなど様々な動物が顔を出す。人工的な音が一切しない世界。一本の枝が水面に触れて立てる小さな音まで鮮明に聞こえる。結局雨は一日中降り続き、部室のような匂いのするテントの中で寝た。本日漕いだ距離40km


3日目また雨が降っている。ため息をつきながらテントをたたみ、パンとコーヒーの簡単な食事をして出発。少しパドルが軽くなった気がする。体が自然に無理のないフォームを作るのだろうか。お昼頃にやっと雨が止む。雲の切れ間から太陽が顔を出した。ほとんど合羽の役割を果たしていなかったアウターが乾いていく。これほど太陽に感謝したことはしばらくなかった。50kmを漕ぎ川の中の島でキャンプ。持ってきた水がどんどん減っていたので、川の水を沸かして飲み水を作る。雨が降っていないため焚き火を作ってガス燃料を節約。そんな作業に必死になっていると、対岸で大きな足音が聞こえた。顔を上げるとムースの親子連れがこちらの様子を伺っている。すぐに逃げるものと思っていたがこちらを伺いながらどんどん近づいてくる。ムースは大型の鹿で、近くで見るとかなりの迫力だ。10m先まで彼らが近づいて来た時、僕は写真を取ろうと立ち上がる。その瞬間彼らはあっという間に逃げていってしまった。空間と時間が一気に密度を増した瞬間だった。この島に船を着けた時やたらとムースの足跡が多いと思ったのだが、どうやらここは彼らの道だったようだ。後で辺りを散策すると一頭分のきれいな骨が転がっていた。今日はいいこと続きだ。

2013年8月19日月曜日

シトカ→ジュノー→スキャングウェイ



2013819日 シトカ→ジュノー→スキャングウェイ


アラスカ州立フェリーは素晴らしい交通機関だ。北米大陸のフィヨルド式になった北西海岸を縫うように運行し、船か飛行機でしかたどり着けない小さな街に寄港してゆく。価格も安くはないが、ローカルの人々の足なので高すぎはしない。リタイアした老夫婦や先住民の子連れ家族、バックパッカーなど様々な人が乗っており、船上でテントを張って寝ている人さえいる。高いツアーに参加をしなくても船上からイルカ、鯨、アザラシ、アシカ、ハクトウワシと様々な動物を見ることができる。島と大陸の間を進むので基本的に海は穏やかで、両側には万年雪に覆われた山々が迫ってくる。そのスケールはとても言葉では言い表せない。もちろん僕の写真技術では到底捉えることが出来ない。(あえて言うならSigur rosがよく似合う風景)北国の短い夏の終わりに差し掛かった今は乗客も少なく(元々ここに来る人はさほど多くない)、そんな大自然の中でも人々は気が向いた時に外に出たり、本を読んだりとそれぞれの時間を船内で過ごしている。こうした空気が何とも心地よい。今後日本で忙しい日々を過ごしたとしても、この時間は僕の心の底の方で通奏低音のように流れ続けるだろう。

シトカという街に初めに来た西洋人はロシア人だった。かつて日本の漁船が流れ着いたという島にもロシア語でヤポンスキー島という名前がつけられている。ダウンタウンは1時間もあれば回れてしまう程小さな街だが、山々と海に囲まれた場所なのでトレッキングやシーカヤックなど自然相手の遊びには事欠かない。宿のスタッフにどのトレイルがいいかと相談をしてみる。

「このトレイルが素晴らしいよ。深い本物の森だ」
「さっきその辺を散歩してたら、ものすごい数の鮭が遡上していたし、沢山のベリーが生っていたから熊が心配なんだけど・・・」
「ああ、めっちゃいるよ!みんな会いまくってるから気をつけてね。ベアスプレーは持ってるよね?それから熊に出会った時の対処もわかってるでしょ?」
ここでは熊を見かけることが日常茶飯事だというように彼は言った。
「スプレー持ってないんだ。買ってくるよ。熊への対処はなんとなく知ってはいるけど、まだ野生の熊には会ったことがないんだ。」
「スプレーはマストだよ。どうしても熊との距離が近づいてしまったら手を大きく上げて自分を大きく見せるんだよ。そしてゆっくり話しかけてね」

翌日ベアスプレーを持って山に入る。入って早々に大きな熊の足跡と糞がトレイルの真ん中に落ちていた。本当に沢山の熊がいるようだ。誰ともすれ違わないままどんどんと森の奥に入っていく。この森は僕が今まで経験したことがないほど豊かで深い森だった。降水量が多く湿度が高いため一面苔むしており、獣や魚、樹木など様々な匂いが立ち込めている。日本ではお目にかかれない針葉樹の大木が何本もそびえ立ち、その倒木から更に木が生え複雑で立体的な地形を作り出している。熊だろうか、ついさっき獣が捕らえたであろう新鮮な鮭が、川から30mも中に入った場所に落ちていた。きっとまだ近くにいる。ずっと見られている感覚。緊張した空気の中で、自分が静かに興奮し、心からこの時を楽しんでいることが分かる。結局この日は熊には遭遇せずに無事下山することができた。(後日遭遇)
翌日は宿で知り合ったアメリカ人の中学校教師と違う山を登る。自分の親よりも年上に見える彼が軽い感じで誘ってきたので、大した山ではないだろうと思っていたが、実際は一歩踏み外せば崖下に真っ逆さまというような岩山だった。後で聞くと彼はクライミングを長いことやっているとのこと。今はシアトルに住んでおり、娘さんがこの街でカヤックガイドをしているので会いに来たという。ちなみに息子さんはナショナルパークのレンジャーというアウトドア一家だ。初めに言ってくれたら覚悟はしたのに・・・。しかし、食べられるきのこや木の実を解説しながら口に入れ進む彼との登山はとても面白かった。彼の中ではこういった遊びが日常の中にある。後で会った娘さんもめちゃくちゃ綺麗でびっくりした。

その後もジュノー、スキャングウェイと色んな街に立ち寄りながら北上をしている。一日一日がとても濃い。初めて見る紅鮭の美しさ、氷河の青さなど野生動物や圧倒的な景色との遭遇、宿で急に始まるアコースティックライブ、誰かが作ってみんなにシェアしてくれるご飯など旅人たちとの時間、書き出すとキリがない。そしてそのどれもが何の前触れもなく起こるのだ。自分から求めるのではなく目の前で起こったことを楽しむといった感じ。皆がそういうスタンス。誰も急いでいない。ずっとこの土地に来たかった。ずっと憧れてきた。大切なことはそこに実際自分が立っているということ。本当に来てよかった。

※いいことばかり書いてますが、アラスカの物価はめちゃくちゃ高いです。それに合わせてインサイドパッセージは交通機関があまり発達してないので、タクシーを使わなければならない機会も度々出てきます。パンとパスタの繰り返しの生活・・・。


2013年8月12日月曜日

プリンス ルパート→ケチカン



2013812日 プリンス ルパート→ケチカン


目を覚ますとまだ5時前だというのに窓の外は明るくなっていた。だいぶ北上してきたようだ。霧に包まれた針葉樹林の中をバスは走っている。時々バスに驚いた鹿が森の中に逃げていくのが見える。バンクーバーを出てから既に24時間が経っていた。

ワシントン(USA)、ブリティッシュ・コロンビア(カナダ)、アラスカ(USA)3つの州にまたがったエリアには、入り組んだ湾と島々によって複雑で豊かな森と海の世界がある。そこには北西海岸インディアンと呼ばれる先住民の人々が遥か昔から暮らしており、僕はずっと彼らに惹きつけられてきた。
なぜ彼らに惹かれていたのか?学生時代に自分の祖先が山の民だったというところから、狩猟民に興味を持ち、東北のマタギ(猟師)文化や北海道のアイヌ民族について調べていた。そこから更に樺太、アリューシャン列島と続き北米大陸北西海岸の先住民にまで興味が広がっていった。太平洋を囲むこの一帯には衣服や装飾品、狩猟道具など具体的なモノの中に見られる共通性、そして自然との関係などの精神世界にも共通性があるように思えた。それから僕はずっとこの土地に憧れ続けてきた。だからこそ旅の最終目的地をこのエリアにしたのだ。

バスはやっとプリンス ルパートという街に到着した。シアトルやバンクーバーではほとんど見なかったネイティブの人々の顔が目立つ。早速宿にチェックインを済まし、この街の沖にあるハイダ・グアイ(旧名クイーンシャーロット諸島)へのアクセスを調べる。“ハイダ・グアイ”はその名の通り、ハイダ族の人々が暮らす島々である。北西海岸インディアンはトーテムポールに見られるようなかなり高い芸術文化を持っており、民族によってそれぞれ特徴がある。その中でも僕はこのハイダ族のモノが特に好きなのだ。また大好きな小説「20マイル四方で唯一のコーヒー豆(池澤夏樹著)」の舞台になっていることからも、この諸島にどうしても行ってみたかった。だが、調べてみるとその費用の高さに驚愕する。なんとか島に上陸できてもそこから僕が行きたい南部まではボートをチャーターしなければならず、今持っているお金を全て出しても行けるかどうかだ。うーん、とにかく島に立つことが大事だろうか・・・とも思ったが、散々悩んだ挙句この諸島に行くのは次回ということにした。せっかく行くのならば、満足のいく滞在にしたい。次はいつ来れるか分からないが、仕事を辞め貯金を全て使ってここに立っている今の自分を考えると、きっとまた来るだろうという気がした。

プリンスルパートから船で更に北上。国境を超え、ついにアラスカ州に入る。船は常に陸と島の間を縫うように進んでいく。イルカが併走し、上空にはハクトウワシも飛んでいる。運がいいと鯨も見られるそうだ。チリのアウストラルを思い出す。あそこも複雑に入り組んだ海岸だった。7時間後ケチカンという町に到着。それほど大きな街ではないが、大型フェリーが寄港するため、お土産物屋が並ぶ。しかし船が数時間寄るだけの街なのでホテルなどはほとんどなく、夜は無人の街のような静けさになる。何とも不思議な街だ。
到着の翌日トレッキングをする為に森に向かう。途中、橋から川を除いて驚いた。川が黒いのだ。よく見ると川底が全く見えないほど大量の鮭が産卵のために遡上していた。疲れ尽きた死骸がいくつも河原に転がっている・・・子孫を残すために必死に流れに向かっていく姿はこちらの感動を呼び、何時間でも見ていられそうだった。
針葉樹林の深い森は、雨量も多く毎朝深い霧に包まれるためか、辺り一面が苔の絨毯になっている。日本の森に近い匂いが立ち込め気持ちが落ち着いていく。この森には熊も生息しているので、時々すれ違う人々はみな猟銃を抱えていた。緊張感のある張り詰めた空気がより一層森を美しくしている。この街に滞在した4日間平均して6時間は森の中にいただろうか。ここは本当に豊かな土地だ。山の幸にも海の幸にも恵まれている。そんな豊かな土地だからこそ、人間は自然に対して敬意を持ち、けして採取しすぎず、すべての生物の循環が保たれるような関係を築いてきた。むしろ自分たちが循環の一部であることを感覚的に理解していた。自分たちは生かされているという感覚。マタギやアイヌの文化と北西海岸インディアンの中に見られる共通点はそこなのだろうと思う。世界中の様々な土地を旅をしてきて、改めて思うのは人が一から文化を作るのではなく、初めに土地ありきで文化が出来上がっていくということだ。

2013年8月5日月曜日

シアトル→バンクーバー



20138月5日 シアトル→バンクーバー


ポートランドを出発したバスは、4時間後にシアトルのチャイナタウンに到着した。ありがたいことにホステルもチャイナタウンにあったので、重い荷物を運ぶ手間が省けた。さらにありがたいことにチャイナタウンには日系の大型スーパーもあった。中に入ってみると、緑茶、豆腐、味付け海苔、漬物、納豆、大福、甘酒…日本の製品が所狭しと並んでいる。旅をしていてほとんど思い出すこともない食品なのだが、見てしまうと口の中に味の記憶が戻ってくる。口の中は唾液でいっぱいになった。どうしても我慢できず豆大福とおーいお茶を買い、店の前ですぐにほおばる。「あーこれこれ!!!この味!」周りをいく人からは随分気持ち悪く見えただろう。道端に満面の笑みで口をいっぱいにしながらお茶を飲む男が立っていたのだ・・・。このスーパーには紀伊國屋書店も併設されており、久しぶりに日本の雑誌を猛烈に立ち読みする。これは日本にいるときからの僕の趣味なのだ。もう快感としか言い様がない。こんなことができたのはタイのバンコク以来だ。シアトルの街は人口の13%がアジア系ということで街を歩いていても自分と同じような顔を沢山見る。なんだか不思議な感覚である。
美術館ではちょうど「FUTURE BEAUTY 30 YEARS OF JAPANESE FASHION」が行われていたので行ってみる。今まで女性があんなに目を輝かせている展覧会は見たことがない。時にキャーという声まで聞こえてきた。 ファッションは時代も国境も超えて女性(もちろん男性も)の心を掴んではなさない。僕はあまりファッションに詳しくはないが、70年代後半にイッセイミヤケから始まり、世界を席捲したギャルソンやヨージヤマモトは、一見前衛的なのだが、着物や折り紙など日本の文化を研究し、強く意識したものだった。学生だったとき大学の先生に「西洋の真似ばかりではダメだ。お前日本人なんだぞ」と言われたことを思い出す。結局自分の足元を見るしかないのだ。シアトル滞在は日本に満ちた日々だった。

シアトルから国境を超えカナダへ。たった4時間の移動だ。世界一住みやすいと言われるバンクーバー。どんな都市なのか楽しみにしていたのだが、到着早々アジア人の多さに度肝を抜かれる。シアトルの比ではない。50%ぐらいはアジア人なのではないか?街の中は中国語、韓国語、日本語で溢れ、英語よりもそういった言葉の方が多いのではないかとさえ思う。中でも中国人が多いのだが、香港がイギリスから中国に返還される際、たくさんの香港人がこちらに移ってきたらしい。かなり最近の出来事だ。世界は今も人が動いている。ヨーロッパ・北米を旅しておそらく日本もやがて沢山の移民が住むようになるだろうと思った。日本という国は歴史の中でほとんどそうした経験をしたことがない。そして皆が法外の法、言外の言のようなものを共有して社会が成り立っている不思議な国である。しかし、海外から移ってきた人にそれを理解しろというのはかなり無理があるように思う。きっと沢山の混乱が起きるだろう。そういった際に何が摩擦の原因になっているのかを実感を持って気づき、緩和剤になりうるのは海外に住んだ経験や、外国を旅をした経験がある人だろう。この旅の経験もそういったところで具体的に役立つのではないか。また、僕の地元岐阜などすでにブラジルや中国、フィリピンなどから多くの労働者を受け入れている地域が、今後モデルケースになっていくようにも思う。学校、病院、役所など既に様々な対応がされだしている。僕の友人は岐阜県警だが、来月から半年間ポルトガル語習得のためブラジルに派遣されるようだ。身近で起こっていることが実は世界と繋がっている。それを感じられるようになったのはこの旅で得た良い感覚のひとつだと思う。
バンクーバーでは他にトレイルを歩いたり、レンタサイクルで海岸線を疾走したり、ずっと行ってみたかった博物館に行ったりとなかなか活動的な日々を送った。

※もし、読んでくださっている人の中でアメリカに行く機会がある方はぜひSTUMPTOWNというコーヒー屋さんに行ってみてください。僕も旅の中で出会った方に教えてもっらたのですが、ポートランド発祥のコーヒーショップで、現在シアトルとNYにもお店を出しています。シアトルといえばコーヒーだろということで5件ほど評判のいいコーヒー屋を回りましたが、香りも酸味もダントツで美味しいと感じました。(まあ僕は違いの分からない男として有名ですが・・・)