2011年4月28日木曜日

身体を移動させること


4月は動いた。
時間のある週末は山へ。
また、大阪、石川、神戸へとあこがれの方々に会いに行った。

お金もない時間もない中で、無理をしてでも、身体を移動させて行く。
自分にとっての最高の快感はこれに尽きる。

たった2時間の講演のために、片道5時間もかけて、
まだ雪深い白山麓までいく。そんな自分をあほだなと思いつつ好きなのだ。
あらゆることが土地とともに身体に記憶される。

今月で印象深かったのは石川で震災についての講演を聴き、翌日に神戸へ
足を運んだことである。この土地でも16年前に震災があったことが
信じられないぐらい神戸は大都会なのだ。

一つの土地に根を下ろしいきていくという生き方に憧れる。
そんな土地がないことが(生まれ育った土地でさえも)コンプレックスだった。
しかし、ここ1、2年で諦めがついてきた。1つの土地で生きるということは
おそらく自分の性分ではない。常によそ者で、その土地を俯瞰して見るという
スタンスが自分にはあっているのだろう。
そのことは住むという行為だけではない。私は気が多く、1つのことを
とことん突き詰めるというのができないのだ。何事も広く浅い。
そんな私に、ある方が毎日BLOGを書きなさいと言ってくれた。
毎日が名文でなくてもいい。ただ毎日書き続けるという行為が説得力を
うみ、人を巻き込んでいくのだと。正直自信はないが、やってみようと思う。
これは、気が多い人間のコンプレックス克服にもなるだろう。

そんなことを書きつつ、明日からまた移動をするため、さっそくBLOGは
お休みする。なんじゃそりゃ

2011年4月10日日曜日

ひねもすのたり のたりかな

久しぶりに一人で山に向かう。

登山道からはずれ、川沿いに谷を登っていく。
不安定な足下を確かめながら、ゆっくりと進み、
開けた場所で、コーヒーとタバコで一服。
鹿がこちらをじっと見つめている。
猿の群れが、川を横切っていく。
しっているけどしらんふり。ぼーっと川の音を聞いている。

尾根にでて、登山道で下山する。
老若男女たくさんの登山者とあいさつをかわす。

みんなでてきてるな‥‥春だな。





2011年4月2日土曜日

ぼくらのコンパス

震災から3週間が経った。

観測史上最大の地震により20世紀文明はことごとく壊滅した。というよりも地震で20世紀文明とは何だったのかが明確になった気がする。そしてとどめに福島の原発事故である。

しかし、その中で、現地の避難所などではお年寄りが力を発揮し、声を掛け合ったりしているようである。テレビの画面で何もなくなってしまった自宅前で、笑いながら「もう一度やりなおそう」というおばあちゃんが映っていた。
今回被災した地域は、雪かきや季節風など人が生きていく上でどうしても自然と向き合わなければいけない土地である。昔からその土地に生きてきた人々は、自然をコントロールするのではなく、自分もその中の一部であるという自覚(感覚かもしれない)を持って、様々な知恵を生み出してきた。そういった知恵や精神は壊滅どころか、震災によってより力を増している。
ぼくの好きな作家の言葉に「文明とは、その土地の自己表現である」というようなものがある。人からの視点ではなく、土地からの視点である。こう考えたときに、日本の風習、芸能、祭り、宗教、生活に至るまですべてに納得がいく。これだけ自然に恵まれ、その分災害も多かったこの国では、物事は常に"うつりかわる"ということがそべての基本になっている。他力本願の考えなどもそうだろう。
戦後、日本は欧米を手本に発展してきた。その過程であちらの価値観や精神に合わせていく必要性が出てきたし、その中で育った僕らの世代にはいつの間にかそういったものが擦り込まれている。しかし、今回の震災で明らかになったことは、やはり日本にはその価値観は当てはまらないということ。人間が中心で、すべてをコントロールすることなど不可能なのだ。なら、私たちはこの震災後どのような社会を選択していくのか。自然に任せるように、政治家に任せるのか?矛盾しているようだが、今は自分たちで判断し選択しなければならない。いろんな立場から意見を出し合い、話し合っていかなければならない。
ぼくらはどちらに向かっていくべきなのかを。

現地では今も燃料や医療品、人手など様々なものが足りていない。二次災害で亡くなられる方も後を絶たない。被災をしていない人間たちは、自分の持ちうる力で最大限できることをしてゆこう。