2013年8月5日月曜日

シアトル→バンクーバー



20138月5日 シアトル→バンクーバー


ポートランドを出発したバスは、4時間後にシアトルのチャイナタウンに到着した。ありがたいことにホステルもチャイナタウンにあったので、重い荷物を運ぶ手間が省けた。さらにありがたいことにチャイナタウンには日系の大型スーパーもあった。中に入ってみると、緑茶、豆腐、味付け海苔、漬物、納豆、大福、甘酒…日本の製品が所狭しと並んでいる。旅をしていてほとんど思い出すこともない食品なのだが、見てしまうと口の中に味の記憶が戻ってくる。口の中は唾液でいっぱいになった。どうしても我慢できず豆大福とおーいお茶を買い、店の前ですぐにほおばる。「あーこれこれ!!!この味!」周りをいく人からは随分気持ち悪く見えただろう。道端に満面の笑みで口をいっぱいにしながらお茶を飲む男が立っていたのだ・・・。このスーパーには紀伊國屋書店も併設されており、久しぶりに日本の雑誌を猛烈に立ち読みする。これは日本にいるときからの僕の趣味なのだ。もう快感としか言い様がない。こんなことができたのはタイのバンコク以来だ。シアトルの街は人口の13%がアジア系ということで街を歩いていても自分と同じような顔を沢山見る。なんだか不思議な感覚である。
美術館ではちょうど「FUTURE BEAUTY 30 YEARS OF JAPANESE FASHION」が行われていたので行ってみる。今まで女性があんなに目を輝かせている展覧会は見たことがない。時にキャーという声まで聞こえてきた。 ファッションは時代も国境も超えて女性(もちろん男性も)の心を掴んではなさない。僕はあまりファッションに詳しくはないが、70年代後半にイッセイミヤケから始まり、世界を席捲したギャルソンやヨージヤマモトは、一見前衛的なのだが、着物や折り紙など日本の文化を研究し、強く意識したものだった。学生だったとき大学の先生に「西洋の真似ばかりではダメだ。お前日本人なんだぞ」と言われたことを思い出す。結局自分の足元を見るしかないのだ。シアトル滞在は日本に満ちた日々だった。

シアトルから国境を超えカナダへ。たった4時間の移動だ。世界一住みやすいと言われるバンクーバー。どんな都市なのか楽しみにしていたのだが、到着早々アジア人の多さに度肝を抜かれる。シアトルの比ではない。50%ぐらいはアジア人なのではないか?街の中は中国語、韓国語、日本語で溢れ、英語よりもそういった言葉の方が多いのではないかとさえ思う。中でも中国人が多いのだが、香港がイギリスから中国に返還される際、たくさんの香港人がこちらに移ってきたらしい。かなり最近の出来事だ。世界は今も人が動いている。ヨーロッパ・北米を旅しておそらく日本もやがて沢山の移民が住むようになるだろうと思った。日本という国は歴史の中でほとんどそうした経験をしたことがない。そして皆が法外の法、言外の言のようなものを共有して社会が成り立っている不思議な国である。しかし、海外から移ってきた人にそれを理解しろというのはかなり無理があるように思う。きっと沢山の混乱が起きるだろう。そういった際に何が摩擦の原因になっているのかを実感を持って気づき、緩和剤になりうるのは海外に住んだ経験や、外国を旅をした経験がある人だろう。この旅の経験もそういったところで具体的に役立つのではないか。また、僕の地元岐阜などすでにブラジルや中国、フィリピンなどから多くの労働者を受け入れている地域が、今後モデルケースになっていくようにも思う。学校、病院、役所など既に様々な対応がされだしている。僕の友人は岐阜県警だが、来月から半年間ポルトガル語習得のためブラジルに派遣されるようだ。身近で起こっていることが実は世界と繋がっている。それを感じられるようになったのはこの旅で得た良い感覚のひとつだと思う。
バンクーバーでは他にトレイルを歩いたり、レンタサイクルで海岸線を疾走したり、ずっと行ってみたかった博物館に行ったりとなかなか活動的な日々を送った。

※もし、読んでくださっている人の中でアメリカに行く機会がある方はぜひSTUMPTOWNというコーヒー屋さんに行ってみてください。僕も旅の中で出会った方に教えてもっらたのですが、ポートランド発祥のコーヒーショップで、現在シアトルとNYにもお店を出しています。シアトルといえばコーヒーだろということで5件ほど評判のいいコーヒー屋を回りましたが、香りも酸味もダントツで美味しいと感じました。(まあ僕は違いの分からない男として有名ですが・・・)

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