2011年5月4日水曜日

火の前、陽の中



GWも後半になった。

昨日は、仲間10名程で山で焚き火をした。
仲間と言ってもそれぞれ初対面か2回目に会うという人がほとんどである。
火は不思議だ。はじめは緊張していた空気が、寒さを凌ぐために
肩を寄せ合い火にあたっていると、だんだんと和らぎ、
最終的にはずっと前から友達だったような気さえしてくる。
火を囲むという原始的な行為は、今も人々の心を捉えて離さない。
みな火を見ながら、ついつい深いところまで話は進んでいく。

一夜明けた今日は、家具職人の友人と久々に会った。
彼は昨年大きなけがをしてしまい、今後、今の仕事を続けられることは
できないという。ほんの一瞬の出来事が、彼の人生を180度変えた。
彼は「けがをして良かった点もたくさんある」と言う。
ゆっくりと考える時間が持てたこと。恋人と過ごす時間がもてたこと‥‥etc
日常生活にも支障をきたすような大きなけがをしながら、彼は陰ではなく陽を見る。
「なぜ自分が」と怨嗟しても、起こった事実は変わらない。そう口にしたところで
世界はより曇って見えるだけである。彼は世界がどのように見えるかは、自分
次第ということを感覚的に心得ている。
ちょうど午後の陽が喫茶店に差し込む中で、目にうっすらと涙を浮かべながら
話す彼が崇高に見えた。

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