2012年9月10日月曜日

西安


2012年9月10日 西安

杭州から一度上海に戻り、そこから一気に内陸にある西安まで移動してきた。中国に来てまず思うことはその圧倒的な大きさである。日本の感覚で移動を考えてはいけない。国土は日本の25倍もあるのだ。そして一ヶ月という短い期間でこの国を見るというのは無理がある。駆け足で立ち寄った場所にあるものを覗き見る程度だ。まあ27年間生きてきて、自分の国でさえまだ行ったことのない場所がたくさんあるのだから当たり前。短い期間で旅行をするのであれば、少々無理をしてでもたくさんの場所を周るが、今回はいつまでたっても旅行。旅行が日常なのだから自分で休憩を入れないとしんどくなってしまう。

西安には勤めていた大学で博士課程に在籍していた友人が住んでおり、着いて二日間は彼女のお姉さんが経営するホテルに招待してもらった。また彼女の家族(旦那さんと3人の子供、ちなみに彼女は現在大学の先生)、彼女の友人(といっても西安映画界の重鎮的なおじいさん)と高級料理を食べに行き、中国でもトップクラスのお酒を飲ませてもらった。今回の旅一番の贅沢になるかもしれない。最後にマフィアのボスにしか見えないおじいさんに根拠は不明だが「おまえは大丈夫だ」とお墨付きを頂いた。西安にはあと2日ほど滞在予定。

次の街成都には、寝台列車で19時間ほどかかる。中国の列車は全て指定席制なのだが、この列車のチケットを取るのは至難の業である。まず当日券というのはほぼ期待できない。発売日を自分で調べ、取りたい列車の番号と席を紙に書いてチケット売り場に行く。しかしそこには信じられない人数の中国人がいる。列はどこまでも伸びているし(写真のように整列はしていない)、横入りは当たり前。並んでやっと自分が買えるという時に窓口が閉まったりする。ここでは日本人が苦手とする“自分が自分が”という強い気持ちを持って、なんとか横入りを阻止しながら、自分のほしいチケットを獲得しなければならない。横でどれだけうるさく捲し立てられても、日本だったら捕まる距離で体を押し付けられても無視だ。

中国は人の熱が目に見える。面白い。

※兵馬俑も行きました。
※友人家族は大学院に通いながら、京都の高野で老安記という中華料理屋を経営してました。左京区の方にはけっこうおなじみ。

2012年9月6日木曜日

杭州


2012年9月5日 杭州

連日雨が降っている。杭州という街に来た。この街の西湖は2011年に世界遺産になっている。

前日の夜この街に到着。同室になった中国人の若者はみないい人で、さっそく一緒に夕飯を食べに行った。みな気を使ってたくさん質問をしてくれるのだが、英語が分からず、なかなか会話にならない。申し訳ないと思うのだが、みな我慢強く付き合ってくれる。じつはこの街に来る時も一人の青年がチケットの購入から宿の手配まで全てをやってくれたのだ。ユースホステルでは国内旅行をしているたくさんの中国人に会う。大学を出ている子が多いので、ある程度豊かなの家庭の子達なのだろう。そしてみなびっくりするぐらい英語を話せるのである。話をしているとみな外国には行ったことがないと口を揃えて言う。まずビザを取るのが大変だということだ。なんとなく優しくしてくれる理由も国内のあちこちに旅行している理由もわかる。ビザなしでかなりの国を旅できる私たち日本人は恵まれている。

翌日、西湖をぐるっと歩いてみる(この時もある青年が無料で案内してくれた)。とても静かな湖で、湖畔の道もとても整備されている。観光客用の船もたくさんあるのだが、僕も案内してくれている彼もお金がないので見るだけ・・・。一周3時間半程で僕にはちょうどいい散歩だった。湖畔では太極拳や剣を使った舞踊、カラオケ等昼間から大人たちが各々楽しんでいる。中国ではみな声がでかく早口なので忙しない印象を受けるが、実際はとても穏やかな時間感覚を持っているのだろう。

それにしても日本人に会わない。泊まっているユースホステルには世界中から若者が集まってきているのに・・・日本語話したい。

2012年9月3日月曜日

上海


2012年9月3日 上海

昨日11:00頃無事に上海に到着。2泊3日の船旅はあっという間だった。

運がいいことに日本海はかなり穏やかで、ほとんど揺れることもなかった。

船で偶然同室だったのがJTBの添乗員の方で、行ったことがある国は50カ国を超えているそうだ。困ったときの対処法などさすがプロと言える話をたくさん聞くことができて本当によかった。

さて上海である。約2年半ぶりの海外。入国審査を済ませた僕は意気揚々と街に繰り出した。そうそうこの異国の匂い、交通ルールを守らない具合、何を言っているのかわからない言葉、自分は今外国に来ている。これから長い時間をかけてこの馬鹿でかい大陸を横断するのだ。大陸ぐらい大きな不安とそれと同じぐらいの期待。周りからはどう見えているのかわからないが、歩き出して10分後に若い女の子に話かけられる。

「写真を撮ってもらえませんか?」

そんなことはお安い御用だが、彼女は僕が日本人だとわかるとびっくりした様子で中国人かと思ったと言った。彼女の英語はとてもなめらかで、留学でもしたのかと聞くと、海外に出たことはない、私は中国のかなり田舎から出てきた大学生で、上海には観光で来ていると言う。英語レベルが中学生かそれ以下の僕が彼女の話を一生懸命聞いていると、お茶に行かないかと誘ってきた。まだ午前中で急ぐこともなかったので、彼女についてあるお茶屋さんに入った。そこには中国茶のセットがあり、店員の女の子が中国式のお茶の作法やそれぞれのお茶の飲み方などを説明し、大学生の彼女が英語でそれを一生懸命伝えてくれた。お茶は本当に美味しく、感動するものだったが、飲んだあとに今飲んだお茶の中から一番良かったものを選べと言う。なんとなく選んで指すと、店員の子がそれを袋詰めしだし、びっくりする価格(貧乏人の感覚で)を提示してきたのである。一生懸命この値段はない、日本ではすごい大きな額だと訴えると、上海は物価が高いし、お茶でこのぐらいの値段は普通だという。大学生の彼女もそうだそうだと頷いており、もう飲んでしまった後でお茶の相場もわからなかったのと大学生の彼女の前で大声で怒鳴ることは気が引けたので、その額を払った。なんとなくしこりを抱えていたが、その後も大学生の彼女は僕の両替までついてきてくれ、中国の若者事情や都会と田舎の感覚の差など本当にたくさんのことを教えてくれた。最後には写真も撮った。

彼女と別れ、一人ゲストハウスに向かっていると、何故か妙に若い女性から道を聞かれるのだ。そして決まって「中国人かと思った」「お茶でも行こうよ」と続くのである。はあ・・・・そういうことか・・・・。いきなり海外の洗礼を浴びてしまった。そう僕は今外国に来ているのだ。

ちなみに一般の人からもかなり頻繁に道を聞かれる。ほんとに中国人に見えるらしい。聞きやすい顔なのか?サングラスでも買おうかな・・・

2012年8月31日金曜日

海の上から



2012年8月31日12:00大阪港を無事出発。

昨日は緊張で寝ることができず、ぼーっとしたままなんとなく出発してしまった。

船は瀬戸内海を通り、下関から日本海に抜け上海を目指す。飛行機で行けば数時間の距離を2泊3日の長旅だ。

16才の頃からいつかは行こうと決めていた無期限の世界旅行。10年越しの夢。今日はその記念すべき1日目である。しかし眠い…とりあえず寝る。

 さてなぜ旅に出る必要があるのか?様々な友人知人から質問を受け、小難しいことを言ってみたりみなかったりしたが、自分でもよくわかっていない。ただ、行かなければいけない気がするのだ。一生懸命稼いだお金を使い果たし、わざわざ危ない目に会う確率の高い場所へ行くのは自分でも怖いし、出発前は行かなくても済む理由を色々と考えてしまった。ただ、この行かなければならないという衝動は自分の最深部から来ているものであり、ずっと前からそう決まっていたかのようだ。それならばしょうがない。あとはなるようになれ、そして楽しむだけである。

てなわけで今後はこのBLOGで旅の近況を報告していきます。たまに読んで頂ければ幸いです。きっと旅に出た意味も徐々に言葉になっていくでしょう。

2012年5月26日土曜日

音楽のはじまり


長野県の農家に来て三週間が経過した。
当初興奮しっぱなしだった高原の風景にも慣れてしまい、そびえる八ヶ岳や道路に飛び出てくるリス、野うさぎ、鹿などの野生動物も当たり前になった。
こちらの人は八ヶ岳を「ヤツ」と呼ぶ。

苗植えをする韓国人のおばちゃん二人。二人は姉妹。近所でスナックを営んでおり、苗植えの時だけ手伝いにくる。三人で淡々と苗を植えていると、一人のおばちゃんが歌いだし、もう一人も違う歌を口ずさみだす。僕にはわからない言葉で二人はどんどん勢いづき声が大きくなる。何度も何度も同じフレーズが繰り返され、しばらくすると飽きたのか歌はだんだん尻すぼみになっていった。
その歌を聴いていて「音楽はこうして生まれた」という考えがふと浮かんだ。調べてみると、音楽の起源には諸説あるらしい。そのなかにやはり
・労働起源説 ・リズム起源説(参考にしたのはこちら※個人の方がまとめられたもの)
なるものがあった。つまり人間は古代より集団を形成する社会動物であり、社会の中では共同作業が行われる。その際に掛け声や単純作業の効率を上げるためにリズムが生まれ、それが音楽に発展したというものである。やはりそうか。ということは様々な土地で生まれた音楽はその土地の気候や生活様式、労働内容によって違うということになる。考えてみれば当たり前のことなのだが、意識をしたことがなかった。音楽だけではない祭りや芸能、料理、建築、遊び・・・すべてのことが土地ありきなのだ。人が先ではない土地が先。


そして、私たちは明日も淡々と苗を植える。歌を口ずさみながら



2012年5月9日水曜日

その土地の時間


長野県八ヶ岳の東側の村でレタスの収穫バイトに来ている。
ここは標高が1200m程もあり、商店の袋詰めされた商品がすべてパンパンの状態で売られている。キャベツ・レタス・白菜の生産地として有名なこの村は4月から10月までたくさんの出稼ぎが働きにきており、現在は中国・フィリピン・インドネシアからの労働者が多いようだ。日本人はほとんど車で移動しているため、道を歩いているのは外国からの出稼ぎばかりで、様々な言葉が飛び交いまるでアジアの国を旅しているような緊張感がある。

この村に来てまだ一週間も経っていないが、既に二日ほど雨で休みになってしまった。畑は天気・土・苗などの状態でその日に出来ることが限られてくる。もちろんいろいろと計算して日々の仕事をするのだが、どうにもならないことがたくさんあるのだ。
ここに滞在しているといかに自分が人間が決めた時間(時間だけではなくあらゆる物事)に縛られて生きているか、また縛られることで安心しているかがよくわかる。それは誰かしらにとって都合がいいように作り出されたものだ。しかし、ここにはその土地の時間がちゃんと流れており、人だけでなく動物や植物もみな同じ土地の時間を生きている。仕事の始まりや終わり、休みも全ては土地との相談で決まる。ここでは3カ月間働く予定であり、その間にこの土地と人の関係を身体を使ってじっくり体験したい。

話はずれるがトラクターは見ていてかわいい乗り物だと思う。

2012年4月9日月曜日

戻って見る


8年間住んだ京都を離れ実家のある岐阜に戻って来た。1ヶ月程この街にいるつもりだ。

離れていた間も年に2度程帰省していたが、いつも滞在が短かったので、1ヶ月と言えど久しぶりに長い時間実家にいる事になる。まだ、帰って来て1週間も経っていないが、夜やる事がないということも相まって色々と考えてしまう。京都で考えていた事はやはり京都からの目線だった。こちらから京都や東京、周りの土地を見ているとまた考える事も変わってくる。成長したのか、大してしてなかったのか‥‥

今自分の移動手段は徒歩のみである。自転車はまだ京都に置いてあるし、1時間に1本しかないバスを待つぐらいなら歩いた方が早い。毎日トータルで2時間以上歩いている気がする。役所や銀行、床屋、タバコ屋、本屋、コンビニに行くだけでも片道30分かかったりする。しかし、中学校以来自分の住んでいる街をゆっくり歩いてみて、懐かしさと新たな発見でなかなか楽しい。歳をくっただけ新たな視点でこの土地を見る事ができる。やはり歩きに勝る移動手段はない。

また、高校時代一緒に芸術大学を目指していた塾の友人たちが、それぞれ自分の店やアトリエをもっていたのも驚きだった。みんなのお店をじっくり回っていっぱい話して刺激をもらいたい。そうすれば頭の中の岐阜の地図の形が変わっていくだろう。最近このそれぞれの頭の中にある地図の形にすごく興味がある。行った事があるのかないのか、またどんな印象だったのかなどで形はどんどん変化するのではないか。

そんなこんなで、岐阜にいる間もやっぱり忙しく移動し続けている。来週は1週間以上家に帰らずに遠征をする予定だ。