2013年2月12日火曜日

ザグレブ→リュブリャーナ→ウィーン(ビエナ)




2013212日 ザグレブ→リュブリャーナ→ウィーン(ビエナ)


ドブロヴニクから夜行バスでクロアチアの首都ザグレブへ。コーヒー1杯で3時間粘り、そのままスロヴェニアの首都リュブリャーナに向かった。相変わらず移動ばかりの日々である。

スロヴェニアに来たのもまた旅先で出会った友人が勧めてくれたからである。面倒くさがりの性分のため、あまり下調べということをしない。しかしこうして勧められた場所に来てみるのは全く想像ができない場所なので面白いのである。リュブリャーナは首都と呼ぶには随分小さい。街の中央に川が流れ、道はすべて石畳、小高い丘の上にはお城が建つ。典型的なヨーロッパの街だ。また街の外れには森ひとつがそのまま公園になっていた。真っ白の公園の中を散歩していると、とても寒いのにたくさんの人が散歩している。みな家族やペットと一緒である。こういったところもヨーロッパに来たのだなと感じさせる。つまりは日々の中で何が最も大切かということ。僕の印象だが、ヨーロッパでは家族との時間が第一にくる。そしてそれを社会が共有し、様々な面でそれを尊重するようにできていること(ワークシェアリングや男性の育児休暇の取得のしやすさなど)。これから北へそして西に向かうに連れますますそういった事を感じるのだろう。また、この街の近代美術館も小規模ながらとても見やすく、1時間程かけて行った湖も特に何があるわけではないがよかった。宝ヶ池みたいで・・・。

リュブリャーナからはバスがなかったので、ヨーロッパで初めて電車に乗りオーストリアのウィーンへ移動する。電車が着いたのは23時を回った頃で、僕は雪の中重いバックパックを背負い1時間近く歩いて宿に着いた。ヨーロッパに入ってからかなりの節約生活をしているが、この日ばかりはビールを買い、一気に飲み干すとそのままベッドに倒れ込んだ。
ウィーンに関して僕が知っていることは芸術家クリムトシーレが活躍した街だということ、大学の後輩が大好きなウィーン少年合唱団がいるということ、そしてくるりが『ワルツを踊れ』というアルバムをこの街で作ったということぐらいである。とりあえず街の中心にある美術館が多数集まったエリアに行ってみる。ここにあるレオポルト美術館はエゴンシーレの作品で世界最多のコレクションを持っている。シーレは画集を何冊か持っているほど好きだが本物を見るのは初めてだった。エントランスを抜けるとすぐにシーレのコレクションルームになる。ずっと本で見ていた絵の本物が目の前にある。しかもかなりの数。どんどん自分のテンションが上がっていくのがわかる。まるで夢を見ているようだ。平然を装ってはいるが、目頭が熱くなってくる。このために5ヶ月かけてここまで来たのかもしれない。それぐらいの感動だった。シーレの感動が冷めない状態で、同じ美術館で行われていた日本美術の企画展(これは原発問題も絡めてあり、福島の写真家の作品もあった)に入る。なんとなく入っただけだったが、僕はシーレ以上にこの展示に感動してしまう。墨絵や能面、浮世絵や書そのどれもが、まるで毛細血管の先をこそぐるように、僕の感性を刺激する。今まで日本美術がこのように見えたことはなかった。独特の間とでも言うのだろうか。いやそんな簡単に言葉にできるものではない。半年かけて他の土地の様々なものを見てきたからこそ、こちらも受け取る準備ができていたのだろう。僕はただただ誇らしかった。他の鑑賞者に対して「どうや!かっこええやろ!」と言いたかった。しかし「わっかるかなーわっかんねーだろーなー」とも言いたかった。ある意味ここで旅はうまくまとまってしまったのではないかとさえ思える。このシーレと日本美術の展覧会はそれほど良いものだった。最高だった。もちろんまだ旅を続けるのだけれども。

その他にもウィーンではフンデルトヴァッサーが手がけたミュージアムやくるりの曲のタイトルにもなっているカフェハヴェルカ(カフカやヘンリーミラーも通った歴史あるカフェ)、友達の勧めてくれたかっこいいH&Mを見に行ったりした。とにかくウィーンは飽きない街だ。お金があればクラシックコンサートにオペラ、数え切れない美術館に博物館、おしゃれなお店も山のようにある。しかし僕は完全なる美術館貧乏の為いろんな事を諦めなければならなかった。もちろん食費も削る。毎日自作のサンドイッチとパスタだけ、そんな食生活に完全に飽きている。王将に行きたい。心から。

※ワークシェアリングはけして家族との時間の為に始まったわけではないですが、それを受け入れられるということは、人々の共通した価値観があるからではないかと考えました。


1 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

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