2011年8月19日金曜日

夏の旅七日目


大船渡→気仙沼→一関→東京
こちらに来てから昼夜問わず余震がある。揺れる前のゴォ−という地鳴りは恐怖心をあおる。震災から五ヶ月被災地の方は毎日この中で生活しているのだ。
友人と話し合い、滞在予定を縮めて本日こちらを出ることにする。最後の日ということで朝大船渡の町をぶらぶら歩いてみる。宿泊していた地域は床下まで浸水したということだが、みなすでにお店を再開している。商店街の一角にアメリカのボランティア団体の本拠地があり、その前を通りかかるとちょうどシャベルなどをバスに詰め込み、本日の作業場所に出発するところであった。この団体の活動はほんとにしんどいらしく、直射日光のなか一日中溝の泥かきなどをするそいだ。老若男女様々な方が参加している。出発する様子を見ていると日本人の方に声をかけられる。
「ボランティア希望の方ですか?」
「すいません、今回は被災地を見て回って今日帰るんです」
「次はぜひお手伝い願います」
今回の自分の立場は微妙である。当初のプロジェクトが中止になり、今回は被災地を見て回るだけの形になった。しかし、今回現地を知り現地の方と知り合いになれたことはよかったし、地元の方もまず見てほしいと言ってくださった。とにかくこれで終わりにしてはいけない。
新幹線の駅がある内陸部の一関に向かう前に気仙沼の様子をもう一度見に行く。気仙沼は海水にオイルが混じって流れてしまい、かなり広い範囲で火災が発生した場所である。火災によって表面の塗料が溶けてしまった建物、車は酸化して茶色になっている。他の地域とはまた違った風景が広がっていた。
一関で三日間お世話になったボランティアの方にお礼を言い新幹線に乗った。仙台で一泊しその後山形入りするという友人夫婦とも仙台でお別れし、自分は先生の展覧会を見るため急遽東京で一泊することにした。夜上京している友人たちと久々に会い飲んだ。みんな元気で何より。
朝までいた岩手と東京のギャップに驚くが陸続きでこの先に被災地があるんだという感覚になる。自分の中で岩手は遠く行ったことのない土地ではなくなった。

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