2011年8月19日金曜日

夏の旅六日目


大船渡→陸前高田
朝目を覚ますと一緒に宿泊している地元出身のボランティアの方はもう出発の準備をしていた。大船渡には世界中の被災地で活動しているアメリカのボランティア団体が本部を構えている。地元からも何人か参加しているようだ。
今日は昨日国道沿いから見ただけではわからなかった、被災場所や避難所、仮設住宅を気になった場所で車を止めながら見ていく。はじめてこの辺りに来た自分は、悲しみよりも先にその景色に圧倒されてしまう。言葉がでない。
避難した人たちは、このあたりではみな公園や小学校などに建てられた仮設住宅に移動したようだ。市街地が完全に流された陸前高田では、病院やスーパー、コンビニまで仮設で作られ、仮設住宅近くにあらたな街ができていた。
津波の被害は独特で少しの高低差で隣り合う住宅でも全壊と半壊、もしくは床下浸水と被害状況が違う。流されて何もなくなってしまった土地の横で地元の方は普通に生活されている。現地に行ってメディアが作るイメージがすべてではないことがよくわかった。けしてみなが悲観にくれてばかりいるわけではない。
津波被害の地域を回って、ひとつ気になったことは、鉄筋コンクリートで作られた比較的新しいエリアと昔から人が暮らされていた木造建築エリアでは津波後の景色にかなりの違いがあったこと。鉄筋コンクリートの街の跡は基礎がだいたい残っていて、そこに何があったのか想像できる。言葉が正しいかはわからないが廃墟という言葉が合い、絶望感に近い圧倒のされ方をするのに対し、木造エリアは完全にすべてが流され、道が残っているだけなのだ。その景色はまたこれからこの場所がどう変わっていくのだろうかと想像することができた。これは自分の片寄った視点もあるのだが、かなり興味深い発見であった。
実際現地に来て何が不謹慎になるのかなど自分の中でかなりあいまいになってしまった。現地の人の生活や活動を見ていると、被災地以外の地域の人々の方が過剰に反応しているようにさえ感じる。こちらの人は自然に対して謙虚であるし、国や自治体に求めるばかりでなく、自分達でできることはどんどんやっている。都会の人間よりずっと強い。

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