2013年5月25日土曜日

チレチコ→カジャファテ→プエルト アイセン



2013525日 チレチコカジャファテプエルト アイセン


旅を初めて3ヶ月目、僕はタイのサムイ島で友人たちとパタゴニアの話をしていた。その時西からぐるっと世界を見てきた友人が、「もし、パタゴニアに行くのであれば、チリ側にあるアウストラル街道に行ってみて。私はヒッチハイクでその街道を縦断したの。」と話してくれた。そこはあまり交通機関も発達しておらず、ヒッチハイカーやチャリダー(自転車で旅をする人)がうようよいるとのことだった。それ以降このアウストラルという土地がずっと気になっていた。

エル カラファテを後にして、一度東海岸に出て北上し、そこからまた内陸部のチリとの国境に向かう。南半球は今から冬になる。観光業もオフシーズンになり、バスの減便、凍結による道の封鎖、山間部の国境閉鎖、それに加えてストなどで何をするにも遠回りや待ちの時間が必要になってくる。この時期のパタゴニアを旅するには根気が必要だ。日本列島が2つ入ってしまう広大な平原を20時間以上走り、チリ国境に近づくとアンデス山脈の高い山々が見えてくる。もう3回目になるアルゼンチンからチリへの入国を済ませ、チレチコという湖畔にある小さな村に着いた。アンデス山脈より西側(チリ側)は広大な平原のアルゼンチン側とは異なり、フィヨルドが複雑に入り組み、山や湖がある変化に富んだ地形で雨も多い。そのエリアをクネクネと通っているのがアウストラル街道だ。

暖房も何もなくドアもしっかり締まらない宿の部屋でどうしようもない孤独感に襲われる。南部パタゴニアでは日本人と韓国人の友人たちとずっと一緒に行動し、壮大な自然を見ている時間も、宿でひたすらゴロゴロしている時間も皆で共有していた。久しぶりの1人はなかなか堪える。ではなぜ1人で旅をするのだろうか・・・・。映画化もされたジョン・クラカワーの著書「荒野へ」の中で、現代社会に背を向け荒野へ一人で入っていった主人公は、長い旅の終盤に「幸福は分かちあえたものだけが、ほんものである」と書いている。人は皆感動を分かち合いたいものだと僕もこの旅の中でよく思う。だからこそ見た景色を皆写真に撮りたいと思うのではないか。また旅の中で考えたり、感じたことをこうして文章に表したり、帰国後にどんな形で表そうかと考えていることもまた共有したいという欲求からくるものだろう。そういった欲求を貯めて表現をすることのエネルギーにするために僕は1人で旅をしているところがある・・・・なんともM的な理由だ。もちろん1人は気が楽だというのもある。1人で旅する自分に酔っているのかもしれない。まあ人それぞれいろんな理由があるだろう。

ぐるぐると頭の中でなかなか答えにならないことを考えながら、翌日は巨大な湖を船で渡り、コジャイケというアウストラル街道沿いで一番大きな街に向う。道中の景色に僕は興奮しっぱなしだった。雪をかぶった標高2000m近い山々が左右から代わる代わる迫り、きれいな水をたたえた川が山の間を縫ってどこまでも流れていく。始めて見るこの土地の景色に、どこか懐かしさを含む安堵感があることに気づく。そこはスケールの大小はあれど、どこか故郷の岐阜に似ているように感じた。不思議なことに地球の反対側まで来て、故郷に似た景色に心を動かされるのだ。16才の頃から早く出たいとばかり思っていたあの土地は、自分が外に出れば出るほど僕の中で存在感を増していく・・・。僕という人間の基礎は15歳ぐらいまでにほとんど出来上がっているのではないか。いつもそんなことをよく考える。

コジャイケには3日滞在し、そこからヒッチハイクで車を拾い、現在はプエルト アイセンという町でなかなか出港日が定まらないフェリーを待っている。もう4日目だ。連日雨が降っているので、外に出ることもできず、ひたすら本を読んだり映画を見て過ごす。宿のお母さんはいつもボリュームたっぷりの料理を出してくれるので(宿の料金に食事は入っていないがタダで食べさせてくれる)、僕の体重は今人生で一番重い。インドやネパールを骨と皮だけになって旅していた時と比べると、10kgも差がある。なんとなくはじめた禁煙の影響もあるだろう。とにかく体が重い・・・


明日ようやく船が出そうなので、やっと北上ができそうだ。けして焦っているわけでもないのだが・・・・

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