2012年12月18日火曜日

ランタン谷トレッキング 後編




2012121316日 ランタン谷トレッキング後編


トレッキング5日目、朝覚悟を決めてシェラフ(寝袋)から這い出す。カーテンを開けると辺り一面真っ白な世界が広がっていた。ガイドが天気次第だと言っていたので今日4500mまで登るのは無理だろう。ダイニングまで降りていくと同じロッジに泊まっていたスペイン人2人、僕のガイド、そして宿の家族が薪ストーヴを囲んで談笑していた。韓国人のパーティー6人は日程の関係で谷のさらに奥にある山への登山を強行したらしい。
「多分途中で帰ってくるよ。ほんとに危険だから。」
と宿のオーナーと僕のガイドが言う。その日は完全にオフになった。ゆっくり標高に順応できていいだろう。外は寒すぎるのでストーヴの前で本を読むことにする。シェルパの人々は顔が似ているので言葉が通じなくても同じ場所にいて違和感がない。スペイン人はカードゲームや宿の子供にネパール語を教えてもらっていた。彼らの人との距離は近い。これは実際の距離もそうだし、気持ちの面でもあまり距離を取らない。その分、人と早く仲良くなっている。もちろん個人差はあるが、この人との距離の取り方にも国民性があるなと思う。国民性というよりも土地性かもしれない。そんなことをしていると、予想通り韓国人のパーティーは帰ってきた。途中で何も見えなくなり彼らのガイドがストップをかけたらしい。山では無理はしないほうがいい。翌日は下山をしなければならないので、ガイドと相談し早朝に登れるだけ登ることにした。

6日目朝起きると外は晴れていた。軽い朝食の後、ガイドと歩き出す。バックパックを背負っていないのでかなり楽なのだが、やはり呼吸はしんどい。雪の中を歩き続け約4300mあたりでガイドが今日は帰らなくてはいけないので引返しましょうと言う。まだ時間的には余裕があるのになと思いつつ、僕もしんどかったので引き返すことにする。宿まで戻るとガイドは計画を変更して一日早くカトマンドゥに戻りたいと言い出した。どうやら風邪気味らしく、次のトレッキングがすぐ控えているので病院に行きたいらしい。どうりで早く引き返したわけだ。それから荷物をまとめ宿を出た。一日早く帰るため、歩く距離はかなり増えたのだが、帰りは下りで、酸素もどんどん濃くなっていくのであまりしんどくはない。2日間かけてバスの発着点まで戻り、途中で出会った日本人の方がチャーターしたジープに彼の好意で同乗させてもらい快適に首都カトマンドゥまで帰ってきた。8日間山での生活はしんどかったが素晴らしい景色とじっくりと考える時間を得ることができた。お風呂にも入らず、服も1度も変えなかったけれど・・・・。

さてここからはトピックを立てて感想を書きます。
●ガイド
僕のガイドは2つ年下の25歳。首都カトマンドゥに生まれ育ったそうだ。僕の理想のガイドはその土地の歴史や人々の生活などを詳しく教えてくれる人だが、彼が教えてくれたのは麻の自生場所と山でしたイイ思いの話(女性に関する)だった。体調の優れないこちらに対して常に気を使ってくれたので、その点は感謝しているが、帰路の最終日は僕に慣れたのか随分ずうずうしくなり、一人で早く歩いて行ってしまったり、煙草を吸いながらや水のペットボトルに透明のお酒を入れて飲みながら歩いたりしていた。朝ごはんから1時間半しか経っていないのに昼飯にしたがるので理由を聞くと、そこの小屋の女の子が可愛いからだと言うし、標高が下がり携帯の電波が入ると何回も彼女やその他の女の子に電話をして短い首都での生活に予定を詰め込んでいた。(君、風邪でしょ?)そういった言動からコイツは随分粋ったヤツだということが判明した。家はネパールの中でかなり裕福な層らしいので、つまり粋ったボンなのだ。粋ったボンに国境は関係ない。

●食事
けして不味いわけではないが、体調が優れない時に脂分の多い食事をするのは相当に堪える。そもそも僕は一番好きなものが冷奴だし、あまり脂の多い食事が得意ではない(たまには食べたいが毎食は無理)。平地ではその土地のものをできるだけ食べたいと思うが、山にいる間はずっと永谷園のお茶漬けと茶碗蒸しを食べたいと思っていた。

●暇つぶしに関して
登っているときは1日で一気に標高を上げたりしないので、だいたい14時には宿につく、夕食は18時頃で、だいたい皆20時には寝てしまう。しかし、飯を食べる以外に特にやることはなく、着いてから辺りを駆け回る元気もないのでかなり暇なのだ。電化製品の充電にはお金がかかるし、僕は大体の時間ガイドの下ネタを聞いているか、それに飽きると本を読んでいた。持っていった本は1冊なので途中で読み終わってしまわないようにするのが大変だったし、自分の部屋には暖房器具は一切ないので片手で本を読みながら、もう一方の手をシェラフにつっこみ、限界がきたら手を変えるという技をあみだし、白い息を吐きながら時間を潰していた。(しかも読んでいた本は地中海の話)

まあ、山での生活はこんな感じだったのだが、下山途中に1人の登山者に声をかけられた。彼は日本人で(このトレッキング中に会った日本人はたった2人で、もうひとりは帰りに乗せていただいた方)、上の村の様子などを聞いてきた。僕がなんとなく応えていると彼は「僕の宿に泊まってくれたらよかったのに。」と言う。よく話を聞くと、彼は僕が泊まっていた3900mの村に住んでおり、ゲストハウスを経営しているらしい。世の中にはいろんな人がいていろんな人生があるものである。おおガイドよ、そんな面白い日本人がいることさえお前は教えてくれなかったのか・・・・知っていたのに。

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