2012年12月4日火曜日

ヴァーラーナスィー




2012124日 ヴァーラーナスィー


マナーリーから一度デリーに戻り、電車でヴァーラーナスィーへ。当初なんとか取れた電車を勘違いで乗り過ごしてしまい、お金を節約するため電車のランクを一つ落として乗ることにした。インドの電車はすごいといろんなところで聞いていたが、今までは特になんの苦労もなかった。しかし今回の電車は8人用のコンパートメントになんと23(子供3人含む)も乗っていたのだ。一体どうしてこのようなことになるのか。どうやらインドの鉄道会社はキャンセル待ちのチケットを大量に販売するようだ。本当は当日キャンセル待ちの中で乗車できる人のリストが貼り出されるのだが、みな関係なく乗車してくる。その為、幅50cm程の一人用の寝台ベッドでインド人と添い寝する羽目になった。

聖なる河ガンガーの流れるヴァーラーナスィーはヒンドゥー教最大の聖地である。今まで様々なインドに関する旅行記や小説を読んできたがどの本にもヴァーラーナスィーのことが書いてあった。よくインドの写真である沐浴の風景はこの街のものだ。早朝に駅に着き、宿に荷物を置いてそのままガート(川沿いの沐浴場)を散歩した。ガンガーは聖なる河でもあるが人々の生活にも欠かせない河である。沐浴をしている人の横で洗濯をしていたり体を洗っている人がいる。日本の伊勢神宮の事を考えると異様に映る風景だが、ここインドではそれも納得してしまう風景である。さらに歩いていると白い煙が上がっている一角があった。近づくと組まれた木から炎が上がっている。よく見ると木の間からは人の足が飛び出ていた。ここは火葬場である。ヒンドゥー教の人々にとってこの聖地ヴァーラーナスィーで火葬されることが最も幸せな最後の迎え方だそうだ。しばらくじっと見ていると燃え盛る炎の中から黄色い液体が勢いよく吹き上がった。その瞬間そこで燃えているものが人であるということが急にリアリティーを持って迫ってきた。インドについて日本では見えないようにされているものが、全て路上で見えるという感想持ったが、それこそヴァーラーナスィーは生も死も含めて見ることが出来る街である。

ヴァラーナシには3日程滞在する予定だったが、結局8日間も滞在してしまった。当初はこのあといくつかの街を回る予定でいたが、ヴァーラーナスィーに来てインドはこれでいいなという気持ちになった。インドは本当に多面的な国である。たくさんの民族、言語、宗教を抱え、それでも一つの国としてやっていかなければならない。その為インドという国のネジはかなりゆるく絞められているように感じる。それはヒンドゥー教に関しても同じ。その遊びの部分に対して遊びの少ない国から来た僕たちは様々なことを思う。しかし、これからは日本もどうなるかはわからない。たくさんの移民を受け入れる日がくるかもしれない。その時インドに習うことは多いだろう。

インドではたくさんの旅人に会った。みな様々な想いを持って旅に出てきている。そんな人たちと話していく中で自分にとっての旅の意味を再度考えさせられた。明日ネパールに向かって旅立つ予定である。

2 件のコメント:

  1. 覚えていらっしゃいますでしょうか。
    カンボジアで中国の話をしたミウラです。
    インドは今一番行きたい国です。
    そのままの火葬はやはりなにか問いかけられるような気持ちになるのでしょうか。

    私も早く行きたいですね。

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    1. 三浦さん
      もちろん覚えてますよ!今は日本にいらっしゃるんですよね?シェムリアップではお世話になりました。

      ぜひインドに行ってみてください。本当に面白い国です。
      火葬に関しては僕はそんなに衝撃はありませんでした。それは今まで散々本などでそのシーンを想像していたからかもしれません。ブログにも書きましたが、ここまでインドは見せてくれるのかという感想です。日本との対比の中で思うことはたくさんありました。

      もしインドにいかれる機会がありましたら、また三浦さんの感じたインドを教えてください。

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