2012年12月17日月曜日

ランタン谷トレッキング 前編





201212912 ランタン谷トレッキング 前編


早朝僕とガイドを乗せたローカルバスはカトマンズのバス停を出発した。当初は一人でトレッキングに向かうつもりでいたが、体調が優れないのと、まだ自分が未経験の標高まで登る予定の為、今回の貧乏旅行の中ではかなりの高額を払いガイドを雇ったのだ。トレッキングの出発点シャンプルベシまではバスで約10時間。この旅一番の悪路だった。天井や側面のガラスに何度頭をぶつけたことか・・・・途中、崖崩れの跡の様な場所もあり随分怖い思いをした。1日目はシャンプルベシで一泊し、翌日からいよいよトレッキングである。

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日目、2時間程歩いたところで自分の様子がいつもと違う事に気がつく。まだ標高が低いにも関わらず息切れがひどい。風邪をひいているという事もあるが、自分の体力が日本にいた時よりかなり落ちてしまっている。旅は電車やバスの移動が多く、体をほとんど動かさないからだろう。また体重も6kgほど落ちてしまっているので、その影響もあるかもしれない。息も絶え絶え、2700m地点にある2泊目のロッジに到着する。今は完全にオフシーズンの為トレッカーもかなり少ない。ネパールの12月は寒いのだ。汗はかいたが水しか出ないシャワーを浴びる気にはなれない。

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日目ついに標高は3000mを越す。4年前のネパールで登ったプーンヒルが3000mだったのでここから上は未知の領域である。なんとなく頭が痛くてお腹もゆるい。ここまでくると森林限界を超え急に視界が開け壮大な風景が広がる。ヒマラヤ山脈は約5000万年前インド亜大陸とユーラシア大陸それぞれの乗るプレートが衝突し、2つの大陸の間にあったテーチス海の地層が上に持ち上げられて出来上がった。この地殻変動は現在でも続いており、チベット平原は現在でも年間3mmほど隆起を続けている。物質的にも時間的にもその壮大なスケールの中ではひとりの人間など本当に無力だ。また逆に目の前の景色が自分の外のものなのか中のものなのか分からなくなる。ここには宗派が必要だ。だれかが自然の中から真理を読み取り、それを分かりやすく言葉にし、皆を安心させる必要がある。(この辺りにはシャルパ族という遠い昔チベットからやってきた人々が暮らし、チベット仏教を信仰している)


少し進んでは休憩を繰り返す。ある村に行方不明者の貼り紙があった。ガイド曰く、この谷で高山病になり、どこかで死んでしまったのだという。この谷のコースはネパールのトレッキングコースの中でも特に死者が多く、今年だけで19人も亡くなったそうだ。そのほとんどが高山病で、あるドイツ人は前日まで元気だったのに、翌朝ベッドの中で死んでいたらしい。他人事ではない。なんとかかんとかこの日の日程を歩き切り、3500mの村までたどり着く。夜は焼きそばの様なものを頼んだが、脂っぽすぎるのと食欲もあまりなかったので申し訳ないと思いつつ残してしまった。夜シャラフに潜り込むがなかなか寝付けない。深夜2時頃トイレに行く為部屋を出ると、空には満天の星空が広がり、頻繁に流れ星を見ることができた。


4日目、結局あまり眠れないまま翌朝になり、窓の外を見てみると、昨日まで巨大な岩壁から流れ落ちていた滝が凍ってしまっていた。唖然とする。今日は富士山の標高を越え4000mに近づく為短い距離をゆっくり高度順応しながら登っていく。最も高山病の危険がある領域だからだ。途中から周りの景色が全く見えないほど霧がかり雪が降り出した。寒すぎる。ふと生きて帰れるかなと考える。そんな僕を横目にシェルパ族の人達は50kg以上の荷物をもってサンダルで追い抜いていく。

そして僕は今標高3900mの村に滞在している。酸素が薄い為体は多少重いがひどい高山病ではない(ドイツ人の例もあるのでなんとも言えないが・・・・)。明日はここから4500m地点まで日帰りで行く予定だ。風呂には4日入っていないが、不思議と匂わない。標高が高いからなのか、鼻が慣れただけなのか・・・・

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