2012年11月6日 デリー→ジャイプル
多くの旅人にとってインドが特別な場所であるように、僕にとってもインドは旅立つ前から特別な場所だった。
16歳の頃、失恋によって一週間家出をしたことがある。家を飛び出したはいいが、当時の自分にはどこに行っていいのか見当もつかず、結局隣の県に住む親戚の家に転がり込んだ。ちょうどその頃従兄弟が長期のインド旅行から帰ってきたところだったので、一週間ずっと旅の話を聞き、たくさんの写真を見せてもらった。その話と写真は16歳の僕の心を鷲掴みにし、それまでせいぜい自分の住んでいる街とその周辺しか知らなかった僕に、ここではないどこかがあるということを強烈に意識させた。またそこに行く自由が自分にもあることを同時に知った。今考えるとあの時が今までの人生で一番のターニングポイントだったように思う。それ以来インドはここではないどこかの代名詞になった。実家に戻った後もインドについて書かれた紀行文を貪るように読んだ。そして今、しつこいリクシャワーラー(バイタクや人力車の運転手)、目を背けたくなる物乞い、前が見えないほどの土埃、街中を堂々と歩く牛、けして鳴り止まない騒音の中インドの道を歩いている。あの時からすでに11年が経った。インドも従兄弟やさらに上の世代が旅していた頃からは相当変化しているようだ。しかし、それでもやはりインドはインドだ。混沌という言葉はこの国の為にあるように思う。
3日前にニューデリーからインド入りし、昨日電車でラジャスターン州のジャイプルに来た。乾燥した気候と巻き上がる土埃で喉は完全にやられてしまった。でも乾燥した街の中で女性の鮮やかなサリーや道端で売られているスパイス、花の色が栄える。本日はジャイプルにある城や天文台を見に行ったが、どれもスケールが大きい。インド人がこれを作るのかというなんとも失礼な驚きがあった。ますます簡単には理解できない国だ。一ヶ月という短い期間でこの国の本質に少しはタッチできるだろうか・・・・
今日いろんな場所に連れて行ってくれたリクシャワーラーのお兄ちゃんが「日本の象は路上を歩いているかい?インドでは犬も牛も馬もヤギもラクダも象も人間もみんな路上にいるんだ。僕はそんなインドが好きさ。」と言っていた。路上という言葉はこの国を見る上でいいキーワードだなと思った。
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