2012年10月13日土曜日

ホーチミン→プノンペン





20121013日 ホーチミン→プノンペン


菊地成孔のバンド〝Date Course Pentagon Royal Garden″の曲に『ホーチミン市のミラーボール』というものがある。僕にとってホーチミンという街のイメージはこの曲であり、旅に出た時からホーチミンに着いたらこの曲を聴きながら夜のホーチミンを歩こうと決めていた。

ホーチミンの街はかなりの大都市だった。どこか哀愁の漂う首都ハノイとは違い、赤道に近づくせいか蒸し暑く、街も人々もより開放的な印象を受ける。日本人在住者、観光客も多く、日本料理店ばかりが立ち並ぶ通りもあった。この街には3日間滞在し、昼は市内観光やメコンデルタクルーズで楽しみ、夜は現地で知り合った日本人、オーストラリア人と毎晩飲んだ。皆と別れたあと、ひとり『ホーチミン市のミラーボール』を大音量で聴きながら宿まで歩く。道の両脇には夜になると街のあちこちに出現する路上ビアホールがあり、現地の若者や欧米のツーリストたちが楽しそうに酒を飲んでいる。何か自分がとても贅沢なことをしているように感じ、ひとりニヤニヤしながら歩いた。ベトナムという国は自分にとって得意な国ではなかったが、旅をし終えるとやはりとてもいい国だったなと思う(どんな国でもそう思うのだろうが)。一言でこの国の感想を言うならば「フランスパンとコーヒーがうまい」だろうか。

昨日ホーチミンを後にし第3カ国目カンボジアへ。今回はバスで国境を超えた。今は首都プノンペンにいる。僕が生まれる10年前、それまで内戦を繰り返していたこの国で、300万人が虐殺された。今日は実際に人々が殺された処刑場と収容所を見学しに行った。処刑場では大量の頭蓋骨が慰霊塔の中に展示され、収容所の床にはまだ血の跡が残っていた。また収容所では収容されていた人々の写真が永遠と並べて展示されていた。皆首から番号札をかけて写っており、カメラを睨みつけている人、目を逸している人、少ないが笑っている人もいた。女性や子供も大量に殺されたようだ。僕は見学中ずっと鳥肌が立っており、とてもカメラをかまえることができなかった。中でも印象に残ったのは、展示してあるポル・ポトやクメールルージュ幹部の写真が目を潰されていたり、ぐちゃぐちゃに落書きされていた事だった。カンボジアの人にとって彼らは悪魔のような存在だろう。ポル・ポトは晩年アメリカのラジオを聴きながらかなりいい生活をしていたようだが、人々は彼が家族や友人と同じように拷問され、人間の尊厳も何もない酷い死に方をするのを望んでいただろうか。しかし、そうなったところで300万の人は戻ってこない。自分たちが苦しめられた強制労働の時間も戻ってこない。物事が起きてしまった後のやり場のない怒りや悲しみは時間が経ち、その感情に慣れるという方法でしか静まらないと思う。現在、一見何気ない日常を送っているように見える彼らの中で、過去の出来事はどのように残っているのだろうかと、処刑場を出たところで大量に寄ってくるトゥクトゥクドライバーをあしらいながら思った。

「オニイサン、オンナ、ハッパ、ヤスイヨー、オカモトコンドーム!!!!」なんじゃそりゃ!?

Date Course Pentagon Royal Garden/ホーチミン市のミラーボール

0 件のコメント:

コメントを投稿