2012年10月23日火曜日

バンコク





20121023日 バンコク


バンコクは想像をはるかに超えた大都市だった。高層ビルに巨大ショッピングモール、いたるところにコンビニ、大手ファストフード店があり、東京や大阪の街を歩いている時と感覚は変わらない。

3日前から世界中のバックパッカーが集まるカオサンロードに滞在し、今までまじめに旅をしてきた鬱憤を晴らすかのように連日屋台で飲み歩き、クラブで踊りあかすような日々を送っている。財布からお金も踊るように逃げていく。しかし、こんな遊びを日本では考えられない値段でできるのがこのバンコクなのだろう。日にちが変わっても街のネオンが消えることはなく、むしろそれからが本番といった感じである。毎日、前日飲んだテキーラを引きずりながら翌日がはじまる。

昨日、長時間待たされた上で無事インドビザを申請し終え、ビザの受け取りまで10日間ほどかかるため、ここまでずっと移動を繰り返してきた体をゆっくり休めようかと考えている。さてどこで体を休めるべきか・・・ここカオサンロードではたくさんの日本人バックパッカーに会う。今まで中国、ベトナム、カンボジアで出会ってきた友人たちも次々にカオサンにやってくる。お互いに情報交換する中で、今月の終わりにタイ南部の島パンガン島でフルムーンパーティーが行われるという情報を手にした。南のビーチでひたすらのんびりし、夜は踊り明かす、ああなんと贅沢な時間だろう。早速明後日からその島に入りゆっくりする予定でいる。

自分にとってタイは本当に遊びの国になりそうだ。そんな今も酔っぱらいながらこのブログを書いている。

2012年10月18日木曜日

シェムリアップ




20121018日 シェムリアップ


カンボジアは水浸しの国だ。大地にはほとんど起伏がなく(少なくとも僕が移動している範囲では)、雨季終盤のこの時期辺り一面おおきな水たまりだらけになる。道沿いに建つ家々はほとんどが高床式で、子供たちは水牛や水鳥と一緒に家の前にできた池のような水たまりで遊んでいる。日本で河川が増水したときにニュースで流れるような景色が日常の景色としてこの国にはあり、きっと水に対する意識も僕たちとは違うのだろうなと感じる。

3日前からアンコール・ワットで有名な町シェムリアップに来ている。世界中からツーリストが集まるこの街ではホテルやゲストハウス、レストランやお土産物屋が立ち並ぶ。物価も少し高い。アンコール・ワット遺跡群の3日券を購入し、自転車をかりて遺跡を回る。トゥクトゥクというバイクタクシーがいたるところで客引きしているが、貧乏なバックパッカーは最安の移動手段を使うのが基本。ヒンドゥー教寺院のアンコール・ワット、仏教寺院のバイヨン(アンコール・トム内)を中心にこのエリアには無数の石造建築がある。好き嫌いと言う前に、そのスケールに驚く。友人の彫刻家が石彫しているところをよく見ていて、石という素材の扱いの大変さを少し知っているだけに、これだけの規模のものを作るのにかかる膨大な人員と時間、予算を想像するだけで頭の中は宇宙になる。個人的には完成された印象を受けるアンコール・ワットより、どこかアンバランスに見える仏教寺院バイヨン方が好きだ。

それはさて置き、昨日彼女に貸して頂いていたi phoneを紛失した。しかもいつどのようになくしたのか全くわからない。気づいた時にはカバンの中からi phoneだけが無くなっていた。どこかで落としたのかもしれないし、知らぬ間に誰かに取られたのかもしれない。あまりのパッとしなさに気づいてからしばらくしてもその事実を受け入れられず、今でもどこかからすっと出てくるような気がしているが、何度血眼になって探しても出てこない。東南アジアの空気にやられ、どこか気が抜けて貴重品の管理等が甘くなっている自分への警告だろうか。湿度でべたつく肌と同じように脳内もベタついているような感覚。しかし、いくら誰のことも責められないからといってその土地の風土を責めてもしょうがない。自分が悪い。それに尽きる。

それにしても人に借りているものが無くなるというのはショックが大きい。i phonei padにして返さないといけないだろうか・・・はぁ。

2012年10月13日土曜日

ホーチミン→プノンペン





20121013日 ホーチミン→プノンペン


菊地成孔のバンド〝Date Course Pentagon Royal Garden″の曲に『ホーチミン市のミラーボール』というものがある。僕にとってホーチミンという街のイメージはこの曲であり、旅に出た時からホーチミンに着いたらこの曲を聴きながら夜のホーチミンを歩こうと決めていた。

ホーチミンの街はかなりの大都市だった。どこか哀愁の漂う首都ハノイとは違い、赤道に近づくせいか蒸し暑く、街も人々もより開放的な印象を受ける。日本人在住者、観光客も多く、日本料理店ばかりが立ち並ぶ通りもあった。この街には3日間滞在し、昼は市内観光やメコンデルタクルーズで楽しみ、夜は現地で知り合った日本人、オーストラリア人と毎晩飲んだ。皆と別れたあと、ひとり『ホーチミン市のミラーボール』を大音量で聴きながら宿まで歩く。道の両脇には夜になると街のあちこちに出現する路上ビアホールがあり、現地の若者や欧米のツーリストたちが楽しそうに酒を飲んでいる。何か自分がとても贅沢なことをしているように感じ、ひとりニヤニヤしながら歩いた。ベトナムという国は自分にとって得意な国ではなかったが、旅をし終えるとやはりとてもいい国だったなと思う(どんな国でもそう思うのだろうが)。一言でこの国の感想を言うならば「フランスパンとコーヒーがうまい」だろうか。

昨日ホーチミンを後にし第3カ国目カンボジアへ。今回はバスで国境を超えた。今は首都プノンペンにいる。僕が生まれる10年前、それまで内戦を繰り返していたこの国で、300万人が虐殺された。今日は実際に人々が殺された処刑場と収容所を見学しに行った。処刑場では大量の頭蓋骨が慰霊塔の中に展示され、収容所の床にはまだ血の跡が残っていた。また収容所では収容されていた人々の写真が永遠と並べて展示されていた。皆首から番号札をかけて写っており、カメラを睨みつけている人、目を逸している人、少ないが笑っている人もいた。女性や子供も大量に殺されたようだ。僕は見学中ずっと鳥肌が立っており、とてもカメラをかまえることができなかった。中でも印象に残ったのは、展示してあるポル・ポトやクメールルージュ幹部の写真が目を潰されていたり、ぐちゃぐちゃに落書きされていた事だった。カンボジアの人にとって彼らは悪魔のような存在だろう。ポル・ポトは晩年アメリカのラジオを聴きながらかなりいい生活をしていたようだが、人々は彼が家族や友人と同じように拷問され、人間の尊厳も何もない酷い死に方をするのを望んでいただろうか。しかし、そうなったところで300万の人は戻ってこない。自分たちが苦しめられた強制労働の時間も戻ってこない。物事が起きてしまった後のやり場のない怒りや悲しみは時間が経ち、その感情に慣れるという方法でしか静まらないと思う。現在、一見何気ない日常を送っているように見える彼らの中で、過去の出来事はどのように残っているのだろうかと、処刑場を出たところで大量に寄ってくるトゥクトゥクドライバーをあしらいながら思った。

「オニイサン、オンナ、ハッパ、ヤスイヨー、オカモトコンドーム!!!!」なんじゃそりゃ!?

Date Course Pentagon Royal Garden/ホーチミン市のミラーボール

2012年10月8日月曜日

ホイアン→ニャチャン




2012108日 ホイアン→ニャチャン


ハノイを出て、世界遺産の街ホイアンに3日間滞在し、今はベトナムの代表的なリゾート地ニャチャンのホテルで日記を書いている。どこまでも続く砂浜が歩いてすぐの場所にあるが、あいにくの雨で何もやることがない。晴れていたとしても一人旅の場合荷物が気になってなかなか泳ぐのは難しい・・・

ホイアンは貿易都市として栄えた街で、1617世紀には日本人街も造られ、1000人以上の日本人が住んでいたそうだ。世界遺産になっている古い街並みは川を中心に作られ、、大きな観光船から地元のおばあちゃんが乗っているお椀型の小さな船までひっきりなしに川を行き来している。船は今でも重要な交通・運搬の手段だ。また、ホイアンから1時間ほどのところにあるチャンパ王国の聖地ミーソン遺跡にも行った。発見された当時は70棟程のレンガで作られた建造物が綺麗に残っていたようだが、ベトナム戦争時にアメリカ軍が空爆を行い、今はほとんどが崩壊してしまっている。しかし密林と壊れた遺跡という組み合わせはなかなか見応えがあった。とまあ、ガイドブックの受け売りはこんなところで。

ベトナムに入ってからとことん調子が悪い。体調などは全く問題ないがモチベーションが全く上がらない。なぜだろう・・・中国での緊張の毎日から解放され気が抜けてしまったのだろうか。旅があまりにも簡単だというのもある。ベトナムにはたくさんのツーリストが訪れるため、大体のコースは出来上がっているし、移動もツーリスト用にオープンチケットのようなものがあり、安く快適に各都市間を移動できる。各都市からは近場の様々な場所へ格安のツアーが用意されており、ホテルで待っていれば迎えの車がピックアップしてくれ、帰りはホテルまで送り届けてくれる。様々なアクティビティーも充実。食事も一切ハズレがない。本当に旅行しやすいいい国だ。しかしまるでレールの上に乗っているような感覚。もちろんそれを利用しない旅の方法だってある。見ようと思えばもっと深いところも見れる。今回は自ら乗ったのだ。そのレールに。いい勉強になった。

本日は雨が降っていたのでニャチャンの大聖堂へ。ちゃんとした教会に初めて入ったかもしれない。ミサの時間は終わっていたので2人のおばあさんが中で世間話をしていただけ。ベンチに座るとなぜかとても落ち着いてしまい、ぼーっとしていると1時間程過ぎていた。ある日本の宗教学者が、災害が多いにせよ自然環境に恵まれ、努力すればその分大きな見返りがある日本では、砂漠の宗教はなかなか理解できないと言っていて納得してしまった。先日暇な夜に遅いダウンロードにイライラしながら見た「Tree of Life」という映画もキリスト教色が強く、冒頭では旧約聖書のヨブ記が引用される。自分の思春期に考え悩んでいたことが、主人公の悩みや苦しみとシンクロし、色々考えさせられた。今の日本の社会では、必ずしも努力した分見返りがあるというわけではない。今後日本で信仰や宗教に対する意識が変わっていくようなことがあるのだろうか。今後も滞在する街に教会があれば、訪れてみよう。

※ユダヤ教やキリスト教に関して僕の知識はものすごく浅いです。悪しからず。


2012年10月4日木曜日

ハノイ




2012104日 ハノイ


夜行バスでサパからハノイに移動してきた。香格里拉など標高の高いところか来た者にとってこの湿度はしんどい。これからさらに南下していく予定だが、先が思いやられる。

ハノイの噂は中国にいる時から日本人バックパッカーに聞いていた。みな口を揃えてあまり好きではないと言う。なぜ皆がそう言うのか・・・・その答えはハノイに着いてすぐわかった。タクシー、街角の物売り、両替屋などいたるところでボってくるのだ。人の良さそうなおばさんでも初めの言い値は通常の2倍以上で、さらにお釣りをわざと間違えたりする。こちらは常に気を張っている必要があり、人を信用できなくなってくる。もちろん皆がそうではないだろうが、そう感じてしまうほど頻繁に起こるのだ。なぜか・・・・けして貧しいからではないように思える。元々値札などなく、値段交渉で価格が決まる文化のために、相場を知らない者にふっかけるのは当たり前で、道徳的にも許されるのだろうか。これに関してはちゃんとした考察もしていないのでわからない。しかし、けして悪い街ではない、活気があって見ていて楽しい街である。

昨日は世界遺産ハロン湾に行って観光気分を満喫してきた。一方、これでいいのだろうかと思っている。約1年間でぐるっと地球を周ろうとすれば、それはどうしても駆け足になる。世界中の有名な景色や建造物を見て周るぐらいしかできない。しかし、自分は本当にそれがしたいのだろうか。何カ国行ったかということには興味はないし、別に一周にこだわっているわけでもない。自分が本当に興味ある地域をじっくり周ったほうがよほど満足出来るのではないか。もちろん近くまで行ったのに有名なスポットを見てないというのはもったいない気はするが、世界遺産だからといってそこが自分にとっても素晴らしい場所かは別問題だろう。だいたいそういった場所の景色等は覚えていないことが多く、バスでの移動時に見えるなにげない風景の方がずっと記憶に残ったりするのだ。少し計画を考え直そうかと思っている。

※ベトナムに入ってたくさんの日本人に会いました。約2週間ぶりに日本語を話し、いかに自分が日本語に飢えていたか実感しました。日本人であることを隠さなくてもいいというのも幸せ。