2012年3月12日月曜日

川の道


ずいぶんと時間が経ってしまったが、1月に三重県の熊野へ行ってきた。昨年の夏も奈良南部に旅行に行ったが、紀伊山地の文化や風習に今とても興味がある。
今回の旅行の中で三重、奈良、和歌山の間を流れる北山川をジェット船で遡上した。
北山川は日本有数の多雨地帯である大台ヶ原を源流域とし、上流部ではかつて林業が盛んであった。急峻な地形に阻まれて、伐採された木々を陸路で搬出することは不可能であったため伐採された木材で筏を組んで下流まで流していく筏流しが行われていた。筏流しによって下流に流された木材は、河口の新宮市において集積・出荷されていたそうだ。つまりは川の道である。船から岸を見ていると、家などもすべて川を向いており、この土地でいかに川の道が重要視され生活の中心になっていたかがよくわかる。自分の意識では道=陸であり、考えてみれば川の道というのはとても理にかなっているのに考えもしなかった。川の街に育った人間として川の道はなかなか面白いテーマである。今回の旅行で新しい視点を得れた気がした。

2012年2月3日金曜日

知りたい欲求


今日は46都道府県で氷点下を記録したようだ。ただでさえ寒すぎる我が家も、ただならぬ寒さである。まだ雪など降ってくれればテンションも上がるのだけれど‥‥

仕事が忙しいにも関わらず、展覧会を企画してしまったもんだから、毎日がてんてこまいである。しかし、なぜかいつもこういった時に限って知りたい欲求にかられる。比較的余裕のある時期に本などを読めばいいのだろうが、そういった時は何もしない。いや、できない。なんと効率が悪いのだろうかと思いながらも、その欲求を満たさないと気持ち悪いので、しこたま本を買いあさり、ネットで動画を検索する。貴重な睡眠時間を削ってでも知りたいと思う。
なぜか?様は頭が制作モードになっているからだろう。日常の何倍も頭を回転させるため、すぐガス欠のような状態になってしまう。それを防ぐ為に知識という燃料を詰め込んでいるような感覚。そうしないと頭の中も作品もまとまらない。だから、自分の本棚を見回すと、この本はあれを作っていた時に読んだなとなるのである。またその逆もしかり、作品にはその時自分が関心を持って調べていることがだいぶ影響している。
毎日とても眠たいのだが、とても楽しいのだ。うまくいかないことも含めて、すべて大事なプロセスである。

2012年1月12日木曜日

どこから見るか


あけましておめでとうございます。

今年は年末年始の2週間で関西と中部を4回も往復した。8年前に実家を離れてから生まれ育った土地がまた違った角度で見えだし、帰省する度に新たな良いところが見えてくる。最近読んだ本の中にあった言葉で「日々の反復は新しいものに感応する魂を喪失させるか、あるいはその喪失を愛着という名の鈍化に置き換えてしまう。」というものがあった。良いところを見つける度、それがその土地に住む人に関心を向けられていないことを残念に思う。最近「地方活性化」というフレーズをよく聞くが、成功している土地で活動の中心にいるのは他の土地の人間か、一度出て行った人間が多い気がする。つまり客観的な視点が必要なのだろう。あとはセンスか。

母方の親族の集まりは、自分の従兄弟たちが結婚し子供ができ20人以上の集まりになっていた。今時こんな家も珍しい。それはもう様々な職種の人が集まり、話をしていても面白い。従兄弟の1人は現在山の中の集落で林業や木工をしている。話を聞いているとその集落は後10年で人口が半減するそうだ。きっとそのような集落は全国にたくさんあるのだろう。今、自分たちのような“もの”や“こと”を作る人間にとってある意味チャンスがきているのではないか。既存の価値観ではなく、もう一度自分たちで考えて価値を作っていくチャンスだ。それを必要としている土地はある。しかし、その中で大切なことは元からその土地に生きてきた人々の知恵や信仰への尊敬の気持ちだろう。そこには土地と人との歴史が詰まっている。

周りの知り合いも少しずつ地方に引っ越しだしている。さあ、これからどうなるか。どうするか。

2011年12月28日水曜日

今どこにいるのか


ずいぶん久しぶりに一人で山に入ろうと思い立った。
前日は三時近くまで飲んでいた為、頭が少し痛む。
午前中に溜っていた家事をすべて終わらせ、地図を広げ目的地を決める。

山は雪が降っていた。ちゃんとした雪を見るのは今年初めてだ。歩き出してしばらくすると頭の痛みはすぐどこかにいってしまう。ザクザクと落ち葉を踏みしめる音、風によって木々が揺れる音、そして土の匂いが感覚を刺激し、どんどん気持ちが高揚していく。ここ何ヶ月のもやもやとした気分もどこへやら、「あぁ、山に来たかったんだな」と実感する。感動している間に目的地の池が目の前に広がった。池のほとりでバーナーで水を湧かしコーヒーを淹れる。

こんな雪が降っている日に山に来る人などいないので山の中では始終一人だった。そんな状況で怖さではなくむしろ安らぎのようなものを感じることができるのは今自分が山の中のどこを歩いているのかを把握できているからである。それは意識的に訓練したものではなく、小さい頃から山の中に一人で入っていく中で自然に身に付いたものだ。このような自然の中に身を置くことで得られる知恵や勘こそがきっと人の本当の力なのだと思う。ベテランの猟師になると木に残された爪痕から30通りの行動パターンを読み取れると聞いたことがある。また、太平洋の島々の人はGPSはもってのほか地図がない時代から星の動きを見ながら航海をし、お互いの島を行き来していた。震災のあった東北の方々があれほどまでに強いのは、厳しい自然の中でずっと暮らしてきたからだ。人が作ったシステムに寄りかからずに生きる力は自分にはまだ全然足りない。人は本当に進化しているのか。手の中の機械のおかげで何でもできると舞い上がっていては、それが無くなった時何もできなくなってしまう。わざわざ不便な生活をするのも違うと思うが、自分があくまで自然の一部であり、その中で生かされているという自覚だけはあったほうがいい。

さて、山を下りよう。
冬に合うBon iver

2011年11月28日月曜日

電池がなくなるように


京都は紅葉が見頃になり、一年の中でもかなり観光客が多い時期になってきた。人との待ち合わせの時刻に遅れそうになることもしばしばである。

先週の祝日から五日間連続で移動と宴会を繰り返し、睡眠不足も相まって昨日の夜は完全にダウンしてしまった。無限に続くと思っていた体力が底をついたのか、どうがんばっても起きることができない。人に話しかけられているにも関わらず、曖昧な返事しかできず、終いには意味不明なことを喋っていたようだ。夢と現実の間にずっといるといった感じ。それで自転車に乗るものだから街路樹や看板に何度も 突っ込んでしまった。

しかし、体は正直だなと思う。もうやめときなさいというサインを出してくれる。つい無理をしてしまう質なのでこのサインがなければ、本当に倒れるまで無理をし続けるかもしれない。サインに従い今日はゆっくり寝よう。おやすみなさい。




眠りの一曲

2011年11月9日水曜日

知らない街に着いたら


神戸の老舗洋食屋さんにて先輩との会食。
会話の中で旅に出て知らない街に着いた時、まずどうするかの話になった。
先輩の答えは「トイレに入る」というもので、これは偶然にも自分と一致する答えだった。

自分はいつもトイレに入っている時(座る場合のみ)に自分が移動してきた距離を実感する。昨日の夜は自宅のトイレに入っていたのに、今はこんな知らない街の雑居ビルの中でトイレに座っている。不思議だ‥‥とこういう具合である。考えてみれば当たり前の話で、トイレの中は誰に邪魔されるわけでもなく、冷静になって状況を整理できる場所である。きっと同じ様にトイレに入った時にいろいろ思考を巡らす人は多いだろう。

しかし、記憶の中にある最も強烈なトイレ体験は、誰にも邪魔されない場所ではあったが個室の中ではない。それはゴビ砂漠のど真ん中である。羊ばかりの食事で下して苦しんでいたにも関わらず、地平線に沈んでいく夕日がオレンジ色の線をかいた時、美しさのあまりいつの間にか泣いていたことを鮮明に覚えている。見渡す限り人っ子一人いない砂漠の中でのこの体験は、冷静になれるという前記のトイレとは真逆の、すべてを忘れてしまうようなぶっ飛び体験であった。

2011年10月17日月曜日

たまに会う


ひとりで夜の公園を走っていると、目の前に雌の鹿が現れる。
その場でジョギングをしながら鹿と見つめ合う。するとさらにもう一匹の鹿が現れ、さらにさらに親子連れまで登場した。真っ暗な公園で四対一である。じわじわ距離を縮めていくと、四匹が同じタイミングで逃げていった。
一昨日も今制作の為に毎週通っている兵庫県の街でヌートリアに遭遇した。川岸で身を屈めながら気配を消している私の前をゆっくりと泳いでいく。
なぜか、自分が切羽詰まりそうになってくるといつも野生動物が目の前に現れる。もちろんそういう時に山などに入っていくからだが、普段山で遊んでいる時にいつも会えるわけではない。
野生動物に出会う度、妙に落ち着きを取り戻せる。というよりは自分が迷ったり悩んだりしていることが大したことではないように感じるのだ。今回もなんとかなるような気がしてきた。よしよし。