2013年1月8日 アンマン→ペトラ→アカバ→ヌエバア→ダハブ
年明けすぐにイスラエルのエルサレムからヨルダンのアンマンに戻る。入国のめんどくささ(僕は大して時間はかからなかったが)に比べて出国はあっけないものだった。1日休んだ後、南に向かって移動をはじめる。
早朝6:30のバスで出発。アンマンを出てすぐに辺りは荒涼とした砂漠になる。この国の国土の殆どは砂漠なのだ。この景色は僕が27年間見てきた景色のどれとも違っている。全く知らない世界。3時間ほどでヨルダンの世界遺産ペトラへ到着。ペトラは遊牧民ナバテア人の都市で、交易の中間都市として栄えた。岩を削り作られた建造物は圧巻である。カンボジアのアンコールワットでも思ったことだが、その建造物を作るのにかけられた時間、労力、お金を想像すると気が遠くなる。日頃、都市空間で目にするものとは全てにおいて桁が違うのだ。そう考えると僕たちは何をそんなに急いで生きているのかと思う。丸1日遺跡を歩き回り、クタクタになってその日は最寄りの街に1泊した。
翌日も朝は早い。6:45にバスに乗り、2時間程でヨルダンの最南端アカバという街に着く。もちろん道中の景色は全て砂漠である。予定ではすぐにフェリーに乗りエジプトに向かう予定だったが、その日がちょうどイスラム圏の休日(金・土)に重なっていたため、船は出ないとのことだった。仕方がないのでこの街で1泊することにする。アカバはアカバ湾に接しており、アンマンに比べるとかなり暖かい。日中は半袖でも問題がないぐらいだった。海岸まで出てみると。右手にイスラエル、左手にサウジアラビア、対岸にはエジプトが見える。周りを海に囲まれた島国から来ると、このいくつもの国境が集まっているというのは馴染みのない光景だ。東京湾で、東京、千葉、神奈川を見ているようなものだが、それぞれ使われているお金も言葉も住んでいる人も違う。
翌日の16時に船は出港すると聞いていたが、結局19時を回った頃にやっと動き出した。偶然港であった中国人の男の子(ロンドンに留学中)と、台湾人の女の子2人(ヨルダンに留学中)、日本人の男の子(帰国子女)といろんな話をしながら時間を潰す。僕以外は英語を話せたので、僕はたまに遠くを見ていた。その中で中国人の男の子が、「ヨルダンはどうだった?」と質問してきたので、「人々は本当に親切で、食べ物も美味しく、街も綺麗。僕は大好きだ」と伝えると、彼は眉間に皺を作り「ほんと?」と言う。彼はあまりいい印象を持たなかったようだ。ヨルダン人も嫌いらしい。感じ方は人それぞれだし、僕と彼の国籍が違うこともあったのかもしれない。そんな話をしていた矢先、エジプト側の入国審査で問題が起こる。中国人の彼だけなかなかスタンプを押してもらえなかったのだ。結局2時間程待っただろうか。彼がエジプトのビザをロンドンで取得したのが問題という事だったが、真相はよく分からなかった。結局港を出たのは23:00を過ぎており、予定ではこの日のうちにダハブという街まで移動したかったのだが、断念してヌエバアという港町に1泊することになった。この街は本当に何もなかったので、ひたすら本を読み続け、昨日やっとダハブに到着した。
アンマンからペトラを経由し2日でダハブまで行けると聞いていたが、なんやかんやで4日もかかってしまった。しかもダハブの宿に着くと宿泊客は僕たったひとりだった。この旅の中で本当によく僕は一人になる。孤独に耐えろという事なのか・・・。ここはスキューバダイビングで有名な街だが、スキューバダイビングはやらず、ソーラーパネルのごとく太陽光を蓄え、真冬のヨーロッパに向かう予定だ。
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