2013年5月31日金曜日

プエルト アイセン→プエルト チャカブコ→ケジョン→カストロ



2013531日 プエルトアイセン→プエルトチャカブコ→ケジョン→カストロ


4日間待った船が出港する日の朝、出港時間を再度確かめようとフェリー会社に電話をすると、なんと船はもう出たという・・・・前日、日曜なのでフェリー会社のオフィスは閉まっていた。そこで港の警察に聞くと「その船は明日の午後に出るだろうから、明日の朝にフェリー会社に電話して出航時間を聞きなさい」と確かに言ったのだ。信じた僕が悪いが、それでさらに3日間足止めをくらう。

長いこと滞在しているプエルトアイセンという町は、本当に小さな町だ。そこそこ大きな橋とやたら大きな体育館があるぐらい。この辺りの近海ではサーモンなどの養殖が盛んなため、たくさんの出稼ぎ労働者がいるのもここの特徴だ。日曜ともなれば路上は酔っ払いだらけになり道を歩いていると酔ったおじさんに「ニーハオ」と声をかけられる。
船を待っている間は連日雨が降っていたので宿にいることが多かった。ベッドの上で8年間住んだ京都のことばかり考えてしまう。懐かしい街並みや友人の顔が次々に浮かびホームシック似た感情がこみ上げてくる。それと同時になんとなく見えてきた旅の終わりやその後の生活に対する期待と不安で僕は悶々としていた。船を待って6日目にやっと太陽が顔を出したので散歩をして、川沿いのベンチで本を読むことにした。本に集中しているとチャポンと川の方から音がして、顔をそちらに向けるとアシカが1匹川を泳いでいた。それはとても静かな泳ぎで、息継ぎのために10秒に1回水面に顔を出す時でさえも音はない。そして彼(彼女)の作り出す波紋の美しさについつい見とれて写真も撮ることも忘れていた。いや、あえて撮らなかった。自分の気持ちが落ちていたり焦っている時にいつも決まって目の前に野生動物が現れる。それも毎度不意に現れるので、僕ははっとして動けなくなるのだ。そしてなぜか彼らの姿が消えた後は悩んでいたことや落ち込んでいた気分も一緒にどこかにいってしまう。そうこれはいい兆しだ。急に晴れ晴れとした気持ちになる。その翌日船はようやく出港した。

この時期この辺りの海ではシャチや鯨を見ることができるとチリ人が教えてくれたので期待をしていたのだが、降りしきる雨で視界は効かず、しかもかなり船が揺れたのでダウンしてそれらを拝むことはできなかった。27時間で着くと言われていた船がケジョンという目的の港に着いたのは45時間後で、船というのは他の乗り物に比べかなり天候に左右されるものだと分かった。なかなか船が来なかったのも納得である。

ケジョンという港街はチロエというなんとも可愛らしい名前の島(チリで2番目に大きな島)にある。この島はチリ本土から離れているので、独特の家や文化が残っているそうだ。ケジョンから島の中心地カストロという街にバスで向う。車窓から見える緩やかな起伏のある地形はまるで淡路島のようだ。カストロに着き、客引きのおばちゃんに誘われるまま宿を決める。ずっと船に乗っていたので地面が揺れているような感覚が残っていたが、3日間ぶりにベッドに入るといつの間にか眠ってしまっていた。

2013年5月25日土曜日

チレチコ→カジャファテ→プエルト アイセン



2013525日 チレチコカジャファテプエルト アイセン


旅を初めて3ヶ月目、僕はタイのサムイ島で友人たちとパタゴニアの話をしていた。その時西からぐるっと世界を見てきた友人が、「もし、パタゴニアに行くのであれば、チリ側にあるアウストラル街道に行ってみて。私はヒッチハイクでその街道を縦断したの。」と話してくれた。そこはあまり交通機関も発達しておらず、ヒッチハイカーやチャリダー(自転車で旅をする人)がうようよいるとのことだった。それ以降このアウストラルという土地がずっと気になっていた。

エル カラファテを後にして、一度東海岸に出て北上し、そこからまた内陸部のチリとの国境に向かう。南半球は今から冬になる。観光業もオフシーズンになり、バスの減便、凍結による道の封鎖、山間部の国境閉鎖、それに加えてストなどで何をするにも遠回りや待ちの時間が必要になってくる。この時期のパタゴニアを旅するには根気が必要だ。日本列島が2つ入ってしまう広大な平原を20時間以上走り、チリ国境に近づくとアンデス山脈の高い山々が見えてくる。もう3回目になるアルゼンチンからチリへの入国を済ませ、チレチコという湖畔にある小さな村に着いた。アンデス山脈より西側(チリ側)は広大な平原のアルゼンチン側とは異なり、フィヨルドが複雑に入り組み、山や湖がある変化に富んだ地形で雨も多い。そのエリアをクネクネと通っているのがアウストラル街道だ。

暖房も何もなくドアもしっかり締まらない宿の部屋でどうしようもない孤独感に襲われる。南部パタゴニアでは日本人と韓国人の友人たちとずっと一緒に行動し、壮大な自然を見ている時間も、宿でひたすらゴロゴロしている時間も皆で共有していた。久しぶりの1人はなかなか堪える。ではなぜ1人で旅をするのだろうか・・・・。映画化もされたジョン・クラカワーの著書「荒野へ」の中で、現代社会に背を向け荒野へ一人で入っていった主人公は、長い旅の終盤に「幸福は分かちあえたものだけが、ほんものである」と書いている。人は皆感動を分かち合いたいものだと僕もこの旅の中でよく思う。だからこそ見た景色を皆写真に撮りたいと思うのではないか。また旅の中で考えたり、感じたことをこうして文章に表したり、帰国後にどんな形で表そうかと考えていることもまた共有したいという欲求からくるものだろう。そういった欲求を貯めて表現をすることのエネルギーにするために僕は1人で旅をしているところがある・・・・なんともM的な理由だ。もちろん1人は気が楽だというのもある。1人で旅する自分に酔っているのかもしれない。まあ人それぞれいろんな理由があるだろう。

ぐるぐると頭の中でなかなか答えにならないことを考えながら、翌日は巨大な湖を船で渡り、コジャイケというアウストラル街道沿いで一番大きな街に向う。道中の景色に僕は興奮しっぱなしだった。雪をかぶった標高2000m近い山々が左右から代わる代わる迫り、きれいな水をたたえた川が山の間を縫ってどこまでも流れていく。始めて見るこの土地の景色に、どこか懐かしさを含む安堵感があることに気づく。そこはスケールの大小はあれど、どこか故郷の岐阜に似ているように感じた。不思議なことに地球の反対側まで来て、故郷に似た景色に心を動かされるのだ。16才の頃から早く出たいとばかり思っていたあの土地は、自分が外に出れば出るほど僕の中で存在感を増していく・・・。僕という人間の基礎は15歳ぐらいまでにほとんど出来上がっているのではないか。いつもそんなことをよく考える。

コジャイケには3日滞在し、そこからヒッチハイクで車を拾い、現在はプエルト アイセンという町でなかなか出港日が定まらないフェリーを待っている。もう4日目だ。連日雨が降っているので、外に出ることもできず、ひたすら本を読んだり映画を見て過ごす。宿のお母さんはいつもボリュームたっぷりの料理を出してくれるので(宿の料金に食事は入っていないがタダで食べさせてくれる)、僕の体重は今人生で一番重い。インドやネパールを骨と皮だけになって旅していた時と比べると、10kgも差がある。なんとなくはじめた禁煙の影響もあるだろう。とにかく体が重い・・・


明日ようやく船が出そうなので、やっと北上ができそうだ。けして焦っているわけでもないのだが・・・・

2013年5月16日木曜日

ウシュアイア→エル カラファテ




2013516日 ウシュアイア→エル カラファテ


プエルト ナタレスからバスで舗装されていない荒野の道を走り、マゼラン海峡を渡って再度アルゼンチンに入国する。さらに3時間ほど走れば世界最南端の街(もう少し南のチリ領に小さな村はある)ウシュアイアに到着である。最南端という言葉から寂れた小さな街を想像していたが、プエルト ナタレスとは比較にならないほど大きな街であった。

この街には日本人の方が経営されている宿がある。街からタクシーで20分程離れた郊外にその宿はあり、一度そこまで行ってしまうと、街に出るのも一苦労である。昼頃ベッドから起き上がり、朝食兼昼食を終えれば時間は既に14時を回っている。しかもNHKの海外放送を見ることができるのでなかなか外出のタイミングをつかめない。普段日本では見ることのない連続テレビ小説やのど自慢、おかあさんといっしょ、ジャニーズJRの番組をただボーっと見続けてしまう。おまけに外は寒い(南半球はこれから冬)とこれば、尻はより重くなってしまう。夕方、尻にムチをうち近所のスーパーに向かい食材を買い込み、宿に戻って皆で夕食を作る。ワインを飲みながら夕食を食べ、しゃべっていると時刻はもう3時や4時になっているのである。このような毎日を過ごしていると、一日の目標が爪切りやひげ剃りなど極めて低いところに設定される。まあ、長い旅の中でこんな日があってもいいのだ。
もちろん、ただ宿にいただけではなく国立公園に行ったり、近所を散歩したりと少しは動いていた。ちょうど僕がいたときに今年初の積雪があり、辺りの山は綺麗に白化粧した。山も海も空気も一気に緊張感をおび、手作りの家々やボロボロの車などはより一層寂しさをまとう。ヨーロッパからずっと冬を追いかけて来ている。この空気が好きなのだ。

1週間ほどウシュアイアに滞在し、再度エル カラファテに戻ってきた。2週間ぶりに見るエル カラファテの街明かりは知っている街に帰ってきたという安堵感を与えてくれた。現在パタゴニアはオフシーズンで、バスの減便や道の閉鎖などでなかなかスムーズに旅は進まない。当初南米は6カ国程回る予定でいたが、その予定からひとつふたつと国を減らしていっている。しかし、ひとつ国を減らすたびに心に余裕が生まれ、急がなくてもいいという安堵感が今は心地いい。ここに来るまでの8ヶ月間僕は本当に急いで旅をしてきたなと思う。人には何をするにもそれぞれに合ったペースがある。それをしっかりと自分で見極めている人はなかなか少ない。これだけ長く旅をしていても僕はまだつかめきれずにいる。

2013年5月8日水曜日

プエルト ナタレス




201358日 プエルト ナタレス


エル カラファテからバスで国境を超えチリへ入国し、プエルト ナタレスという町へ。エル カラファテは湖畔の町だったが、プエルト ナタレスは海に面した港町で、家々はどれも潮風にあたり寂れた風合いを出している。港町特有の外壁のカラフルさも相まって、街並みはかなり僕の好みの哀愁を帯びている。

前日からこの街に入っていた友人や、バスの中で出会った人達と皆でパイネ国立公園へ向う。パタゴニアは風の土地である。アルゼンチン側でも十分風は強かったが、チリ側はその比ではなかった。ここでは風を見ることが出来る。小さな湖が日本海のように波打ち、木々はほとんど斜めに生え、チリの国旗は今にも引きちぎれそうな勢いでたなびいている。また、風に触ることも出来る。身体の力を抜き斜めに倒れようとしても風に押されて倒れることはできないし、目をつむって手や顔に意識を集中すれば、自分の身体の上を風が移動していく感触がある。その強烈な風が大地を削り、水を動かす。今まで水や火が作り出した景色は山のように見てきたが、風が作り出した景色というのは初めてかもしれない。いや、どの土地でも風はその土地の形成に大きく関与しているだろうが、目に見えない分今まであまり意識してこなかったのだろう。

僕は全身の機能をフルに使ってこの土地を体験した。あらゆる感覚が活発に働き、この未体験ゾーンを必死に理解しようとするが、僕がこの絶対的な自然を把握できるわけはない。気がつくと逆に自分という意識上の境界がなくなり、大きな存在の一部になっている。人は誰しもあちら側に行く為の土地や術、道具を持っていると思うが、僕にとってここパタゴニアはまさにそういう土地であり、しかもなんの術も道具も必要とせず、ただここに立つだけで容易にあちら側に入ってしまう。なんとか両足で踏みとどまってはいるが、完全に風に身を委ねてしまえば、僕はあっという間に風に飛ばされ跡形もなくなってしまいそうだ。もし死に場所を選べるのなら、ここで死にたいとさえ思った。

パタゴニアで一番寂れており、何もすることがないと聞いていたプエルト ナタレスだったが、僕にとってはこの旅一番と言っていいほど落ち着ける場所で、出るタイミングを無くしそうだ。街を歩いていると野良犬がどこまでも付いて来て、まるで散歩をしているような気分になる。また海沿いにそれはかっこいいカフェがあり、友人と話をしたり、本を読んでいると時間を忘れてしまう。住民もみな気さくで優しい。パタゴニアは僕にとって本当に特別な土地になりそうだ。きっとまた訪れるだろう。日本にいながらにして、地球の裏側のこの土地に常に意識があるというのは面白いだろう。

※日本の山には電子音が合うなとよく思いますが、この土地のように壮大な自然の中では全く響いてきません。音が抜けていきそうだからでしょうか?パタゴニアでよく聴くのはBon IverFirst Aid Kit。バスでの長距離移動には音楽がマストです。

Bon Iver

◆First Aid Kit


2013年5月2日木曜日

エル カラファテ




201352日 エル カラファテ


ブエノスアイレスから国内線でパタゴニアのエルカラファテという街に移動する。パタゴニアという国は存在しない。南米大陸南緯40度以南のチリ、アルゼンチンにまたがる地域のことを指す。以前もこの日記で書いたが、この旅をはじめる前に行きたいと思っていた場所はたった4箇所しかない。ヒマラヤ、アイスランド、アラスカ(カナダ西海岸含む)、そしてパタゴニアである。移動続きで慌ただしいヨーロッパの旅の途中僕はずっとこれから向うパタゴニアのことを考えていた。ずっと憧れていた土地なのだ、慌ただしく移動することはやめ、ゆっくりとパタゴニアを周ろう。パタゴニアだけで南米を離れてもいい。

エルカラファテの空港に降り立った瞬間自分のあらゆる感覚が開いていくことがわかる。今、自分はパタゴニアに立っており、そこの空気を吸っている。旅の中で読んだ村上春樹の『雨天炎天』という本の中に下記のような一節がある

僕を惹きつけたのは、そこにあった空気の質のようなものではなかったかと思う。そこにある空気は、他のどことも違う何かしら特殊な質を含んでいるように僕には感じられたのだ。肌ざわりも、匂いも、色も、何もかもが、僕がそれまで吸ったどのような空気とも違っていたのだ。それは不思議な空気だった。
旅行というのは本質的には、空気を吸い込むことなんだと僕はその時思った。おそらく記憶は消えるだろう。絵葉書は色褪せるだろう。でも空気は残る。少なくともある種の空気は残る。

この一節の通り僕はパタゴニアの特殊な空気を感じとり、それに酔った。(村上春樹は小説よりも旅行記の方が僕は好きだ。)見えるものすべてが自分の奥の方の繊細な部分をこそぐる。特にこの土地の朝の美しさは格別である。ベッドに入ったままカーテンの隙間から朝焼けで真っ赤に染まる雲を見ていると、泣きそうになる。このエルカラファテは大きな湖の辺にある街だ。ベッドから起き上がり、湖の水面や紅葉した木々がキラキラと光るのをコーヒーを飲みながら見ている時もまた、僕は心をクシャクシャにされるような感じがする。ずるいと思う。(余談だが、どうも湖畔の街が好きなようである。中国の大理、ネパールのポカラ、滋賀県etc)

パタゴニアはアウトドアアクティビティの聖地でもある。宿で出会った友人とフィッツロイという山を見に一泊二日のトレッキングに出かけたり、氷河の崩落を見に行ったりもした。全てのスケールはこれまで自分が体験したものをはるかに凌いでいる。しかし、上記したようにこの土地に僕が惹きつけられるのはその空気であり、その空気が染み込んだ手作りの家や、野良犬、ボロボロの車、そしてここに住む人々なのだ。これから一ヶ月はこの地域を回る予定である。

※高校2年生ぶりに坊主にしました。久々に見る坊主の自分はあまりに老けていて、当時の面影は全くありませんでした。