2013年3月25日月曜日

ニース→アンティーブ→カサブランカ→マラケシュ




2013325日 ニース→アンティーブ→カサブランカ→マラケシュ


旅を初めて半年が過ぎ、ずいぶん旅慣れしてきたなと自分で思っていたその矢先、ミスを犯してしまった。それはアイルランドの空港でのこと、飛行機に乗るのも何の緊張もしなくなっていたので、時間ギリギリにチェックインカウンターへ向い南仏ニース行のEチケットを提示する。するとカウンター内のおばさんがヨーロッパから出るチケットは持ってる?と質問してきた。まだその後のチケットを何も確保していなかったので、正直に「いいえ」と答えると、それではチェックインできないという。え?ツェルゲン協定内の国に入ってからはまだ1ヶ月半しか経っていないし、問題ないと思うと伝えるが、ダメの一点張りだ。するともっと上の責任者が出てきて「チケットを持っていなければフランスの入国が出来ない。ニースからユーロ外に出るチケットを今取れ」という。そんなやりとりをしているうちに搭乗の時間が迫ってきて、僕はテンパってしまう。アイルランドの空港はWIFIを使うことができたので、キャンセルすればいいやという思いでニース発モロッコ行きの適当なチケットを取った。その画面を見せてなんとかチェックインできたのだが、値段を再度確認してみるとなかなかの値段のものを取ってしまっていた・・・。嫌な予感はしたがとりあえずニースに到着。しかし、入国審査で航空券の提示など全く求められなかった。「なんやねん!」と思いながら、すぐにチケットキャンセルをしようとするが、このチケットは払い戻しできないという・・・・なんということだ。当初はニースからスペイン、ポルトガルとバスで移動し船でモロッコに入る予定にしていたが、こうなればしょうがない予定を変更することにした。これは僕の英語力の無さがまねいたものでもある。何よりもあそこでテンパった自分に腹が立つ。

南仏ニースはアイルランドからきた旅人にはびっくりするほど暖かかった。街にはもう半袖で歩いている人さえいる。そのニースから電車で20分の街アンティーブに大学の後輩が留学しており彼と駅で待ち合わせをして、街を案内してもらう。同じヨーロッパでも北と南では随分と雰囲気が違うものである。何よりも光が違う。そのせいか人々の表情も陽気に見える。また魚介類の多さも魚を食う国民にはたまらない。北ヨーロッパでは街角で美味しそうなものにあまり出会わなかったが、こちらではついつい足を止めてしまう。もうひとつ面白かったのは、たくさんの人がバゲットをリュックに挿したり、手に持って歩いているのだ。絵に描いたようなフランスの光景。この街に滞在した4日間僕も真似をして常にバゲットを持ち歩いて行動をした。とにかく安いので、貧乏旅行者には強い味方である。
後輩は日本にいた時よりも生き生きとしていた。言葉もだいぶ上達しており、たくさんのフランス人の友人もいるようだ。そんな彼に僕は感心しきりだった。彼のフランス行きを聞いたとき大丈夫だろうかと心配したが、大切なのは新しい環境に飛び込む勇気であり、後はその環境が人を成長させるのだろう。次に日本で会う時が楽しみである。

ニースを後にした僕は、まだだいぶ先に行く予定だったモロッコに飛んだ。カサブランカの空港に夜中に着き、1泊したあと本日の朝マラケシュという街まで移動してきた。大量の排気ガスや砂埃、鳴り響くクラクション、鬱陶しい客引き、街中のゴミ、野良犬。「ああ、帰ってきた。」2ヶ月間のヨーロッパ旅行で忘れていたこの感覚。結果的にこのタイミングでモロッコに来てよかったかもしれない。チケットのミスも旅が日常化しすぎて気が緩んでいたのだ。モロッコは緊張感を取り戻すにはちょうどよい。そういうことにしておこう。

2013年3月20日水曜日

ダブリン→ゴールウェイ




2013320日 ダブリン→ゴールウェイ


ロンドンからダブリンへの移動の前日は空港に一泊することになった。インドの駅での野宿とは比較にならないほどきれいだが、彼女には過酷だったようである。申し訳ない・・・ちょうど良いベンチを見つけ荷物を抱えながら寝る。自分たちしか寝てなかったベンチの周りには、目を覚ますと同じように空港で夜を明かした人達がたくさん寝ていた。似た者同士肩を寄せ合い安全を確保するのだ。人もやはり動物なのだなと思う。

そんなこんなでダブリンの空港に降り立つ。あまり寝ることもできなかったのでふたりともフラフラなのだが、この日はアイルランド最大のお祭り聖パトリック祭だったため、身体に鞭打ち街へ。しかし行ってよかった。街も人も緑色一色で、その中をパレードが練り歩く。出遅れてしまった僕たちはパレードを見るのにも一苦労だ。街中が熱気に満ち、あまりのテンションについていけなくなったのですごすごと宿へ。この祭りのためにダブリンのホステルはどこも満室で、どうしても郊外の高いホテル(といっても日本のビジネスホテル程度)に泊まることにしたのだが、なんとここが4ツ星のホテルらしく、バスタブまで付いていた。日本人にはやはりこれが必要だ。

そして、バスで島の反対側ゴールウェイへ。この街は州都であるがさほど大きくはなく、静かで落ち着いた港街だ。着いて2日目はバレン高原とモハーの断崖を見に行くツアーに参加した。イギリス同様どこまでも牧草地が続くアイルランドだが、整理された印象を受けるイギリスに対してアイルランドは荒々しくワイルドな印象を持つ。土地自体の個性がこちらのほうが強く、コントロールしきれないといった感じ。それは両国の人にも言える事かもしれない。半年旅をして様々な土地を見てきたが、ここの風景はネパールのヒマラヤと並び、大きく心が動いた場所だった。それはなかなか言葉にできるものではないが、壮大で荒々しい中に凛とした静けさが漂っている。時間的にも空間的にも自分の存在が消えてしまうのではないかと感じる瞬間があるのだ。モハーの断崖の上から北の海を見る。この先にあるのは憧れの地アイスランド。今回の旅の1つの目的でもあったアイスランドだが、時期と予算の問題で見送ることにした。まだ、憧れのままでいてもらおう。いつかじっくりと時間をかけて回りたいと思っている。
夜は連日アイリッシュパブへ。ホテルのスタッフが教えてくれたパブは、観光地から離れた場所にあり、地元の人々でいっぱいだった。楽器を持ったローカルのミュージシャンが少しずつ店に集まり、いつの間にかライブが始まっている。ギネスビールを飲みながら聞く本場のアイリッシュミュージックは最高としか言い様のないものだった。

ここで1ヶ月共に旅をしてきた彼女とはお別れである。ゴールウェイからのバスがかなり遅れたため、別れを惜しむ暇もなくあっという間にデンマークに帰っていった。それぐらいがちょうどいいのだろう。また1人の旅の始まりである。さあ、少しずつ暖かい場所へ。

2013年3月16日土曜日

ロンドン→ソールズベリ




2013316日 ロンドン→ソールズベリ


主が仕事に行った後の部屋でゆっくりと目を覚ます。大きなキッチンで朝昼兼用のご飯を作り、良質のスピーカーで音楽を聴きながら食べる。庭に遊びに来たリスや小鳥を観察する。時に狐も来るらしい。ロンドンに滞在した6日間は毎日こうして始まった。友人の家はロンドンの郊外のアパートの1階にある。夫婦やカップルが2人で住むにはちょうどいいサイズの家。ヨーロッパに入ってから忙しなく移動を続けてきたので、ロンドンでのこの時間は本当に貴重なものだった。

1年前、僕が京都を去るということで友人が開いてくれたパーティーに当時日本に滞在していたイギリス人の彼とスウェーデン人の彼女も来てくれた。その際に次はロンドンで会おうと約束をしていたのだ。その後僕は旅に出て、2人もロンドンで新しい生活を始めていた。悪名高いイギリスの入国審査を無事通過し疲れ果てて家にたどり着いた僕たちを、彼らは精一杯もてなしてくれた。そのお礼に僕たちも晩御飯(日本料理)を作って彼らが仕事から帰るのを待ち、毎日遅くまでお酒を飲みながらたくさんの話をした。京都時代の思い出話や共通の友人の近況、、音楽の話、またはイギリス、スウェーデン、日本の比較など話は尽きない。元々気心の知れた友人と話すのは旅の中で知り合った人と話をするのとはまた別の面白さがある。ちなみに彼は少し日本語を話し、彼女に至っては流暢な関西弁をしゃべる。次はまた日本で会おうと最後に約束をして彼らの家を後にした。彼らが日本に来たとき僕も精一杯のおもてなしをしたい。

ロンドン滞在中は友人の務める会社(Google)にもおじゃました。というのもGoogleの社員食堂でビュッフェを食べさせてくれるというのだ。もちろんタダ。僕たちはゲストという名札をもらい社内に入る。食堂には世界各国の料理が並んでいた。その他にも各種チーズ、ケーキ、飲み物、果物、お菓子全て無料である。社員はここで朝昼晩と食事を取ることができ、金曜は夜お酒までタダで飲むことができるのだ。それだけではない、車内には図書館や音楽ルーム、ゲームルーム、リラックスルームと社員がくつろげるスペースがたくさんあったり、インテリアもロンドンバスが社内にあるなど遊び心に溢れている。友人曰く「パソコンとにらめっこする仕事はしんどいからね、体を動かしたり、リラックスしないといいパフォーマンスができないんだよ。もちろんいいアイデアも出ない。」うーんさすがGoogle。それでは怠ける人間が続出するのではないかと日本人の僕は思うのだが、そんなことはない。社員はみなここまで完璧な仕事環境と提供してくれるグーグルのために一生懸命働いているし、結果がでなければ自分の居場所がなくなるだけだ。一見優しいように見えて実は厳しいヨーロッパに対し、一見厳しいように見えて実は優しいのが日本なのだろう。日本はルールを設けることによって、人々を律しようとするが、いざという時は情を大切にし、冷酷なことはしない(最近はそうでもないのだろうが)どちらがいいというわけでもないが、僕が生きていく中でとても大切だと思うのは、選択の自由とそれに伴う責任である。そう言った意味でヨーロッパの人々は自立しており、みなそれを前提に生きているように感じる。日本では子供たちの一番身近な大人(親や先生、もしくはテレビの中の政治家)が責任を持つことを恐れ、擦り付け合っているような事もしばしばだ。そんな環境では子供もずる賢くなるだけではないだろうか。どこか読んだ本のセリフに「責任のない自由なんてありえないわ」というのがあったことを思い出した。

イギリスではその他にも、ストーンヘッジを見学するためソールズベリという田舎町にも滞在した。絵に描いたようなイギリスのカントリーサイドは静かでとても落ち着いている。さあ次はアイルランドへ。

2013年3月10日日曜日

アントワープ→アムステルダム→ロンドン







2013310日 アントワープ→アムステルダム→ロンドン


パリ最終日は春が来たかのような晴天だったのだが、やはりまだ早朝はかなり冷える。予定時刻から1時間遅れてバスがターミナルに入ってきた。待っている間に寒さと空腹で既に疲れてしまう。 パリから6時間半でベルギーのアントワープへ。フランスは食料自給率がやたら高いというのが頷ける程、どこまでも農地が広がっていた。

アントワープはヨーロッパ第2位の港を持つが、もう1つの顔はファッションの街だ。この街にある王立アカデミーは数々の有名デザイナーを輩出している。小さな旧市街の中には本当に沢山のブティックや古着屋、家具屋などが並ぶ。しかもみなおしゃれだ。この街の人口からしてもお店の数が多すぎるという印象だったので、きっと他の国からも沢山の買い物客がくるのだろう。ただ、今は冬ということもあり人も少なく本当に落ち着いている。しばらく大都市が続いていたので、ふたりともかなり疲れていたようだ。2日半の滞在だったが、気力を充電できた気がした。

アントワープから一路オランダのアムステルダムへ。オランダは国名をNederland(低地の国)と言うように、本当に土地が低い。水浸しの国カンボジアとまではいかないが、至る所に池のようなものがある。そして風車も回る。何かで読んだのだが、オランダ人はこの土地に住むため、干拓をしなければならず、沢山の努力をしてきた。そのため一人一人が国を自分が支えていると言うような意識を持っているという。北欧同様とても自立した人々なのだ。
アムステルダムは様々な匂いのする街だ。まず、街中の運河のせいかドブの様な匂いがする。慣れれば何ともないのだが、建物から外に出る度気にはなる。そしてそこら中にあるコーヒーショップからするハシシの匂い。まさかここまで街中でこの匂いがするとは思わなかった。しかし、こうした自立した意識を持った国民だからこそ、大麻に対して寛容な政策を取れるのだろう。日本では確実に無理だと思う。そうした香りを嗅ぎながら街を彷徨うと、ピンクの光が窓から漏れるエリアに着く。有名な飾り窓だ。無数に並んだガラスの向こうにはセクシーな衣装で身体をくねらせ、こちらを誘惑する女性がいる。そのドアを開け、酒か葉っぱを決めている男が女性に値段交渉をしている。うーん、アムステルダム。人々の欲望が目に見える街。僕はゴテゴテとしたものはあまり好きではない。どちらかと言えば徹底的にマイナスの作業をされたものが好きだ。ただ人の持っているこうしたエネルギーをあたかも無いものとするのも好きではない。綺麗事であったり、汚いものを見ない様にしている気がする。凛とした中にごちゃごちゃとしたものも含め、全てを内包している。そんなものが一番美しく、魅力的に感じる。はて、何の話か

そんなアムステルダムから今はドーヴァー海峡を超えてロンドンまで来た。ここでは友人宅に一週間お世話になる予定だ。

2013年3月3日日曜日

ベルリン→パリ




201333日 ベルリン→パリ


ストックホルムから電車とバスを使いドイツのベルリンまで移動してきた。バスターミナルに着いたのはAM7:00を回った頃だったが、空は灰色で空気は重く、北欧から南下してきた割には寒かった。しかし、物価に関しては全然違う。ストックホルムでは本当に何も食べられないかと思うほどすべてが高かった・・・。ベルリンで予約していた宿の近くに屋根付きの市場があり、そこには肉屋、パン屋、魚屋などなどたくさんの専門店が並んでいた。どの店にも小さな食堂のようなものがついており、そこで簡単な食事を出している。もちろんビールも。日本でも肉屋で売っているコロッケがうまいように、こういったお店の料理はうまい!しかもレストランなどより安いのだ。昼間からローカルの人々がそこで食事をしながら話に花を咲かせている。僕ら(デンマーク以降彼女と共に旅行中)もその市場で何度も食事をした。

日本にいる時から今世界で一番熱い街はベルリンだということを聞いており、どんな街だろうと相当期待していたのだが、期待しすぎたのか言うほどの刺激はなかった。もちろんこれは僕が短い滞在の中で回れた場所の感想なので、もう少し長くいれば違った感想になったかもしれない。ただ、街は物価も含め住みやすく、世界各国から人々が集まっているので、常に何かが生まれる要素を持った場所ではあると感じた。

ベルリンに関して、あまり好意的ではない印象を持ってしまったのは、この日記を書いている今現在、僕がパリにいるからだ。パリが面白すぎた。そして空は青かった。ベルリンから当初はオランダ、ベルギーと経由してフランスに入ろうと計画していたのだが、学生時代、大学職員時代の恩師が学生を引率してパリまで来ているという連絡をもらったため、一気にパリまで移動することにした。恩師と合流し、パリのローカルカフェでお茶をし、現在パリで語学を勉強しながら絵を描いているという大学の先輩のバイト先でビールを飲む。その後はさらに先生の滞在先のホテルで大学の後輩も加え、日が変わるまでワインを飲んだ。まさかパリで恩師や後輩などと再会できるとは思ってもみなかった。本当にうれしいひと時。
翌日からパリの街をひたすら歩く。オルセーやルーブル、ポンピドゥーには行っていないが(人が多いので)、蚤の市や古着屋、小さな美術館や博物館などを歩いて回る。今まで小説や映画の中にあった世界が目の前にあり、自分はその中を歩いている。少し歩けば街はどんどんと表情を変え、こちらをまったく飽きさせない。ちょうどパリコレの期間中だったので街全体が活気に満ちていたというのもあるかもしれない。そんな中で、ウィーンでも思ったことだが、僕が考えていたよりも美術界やファッション界におけるジャポニズムという運動はかなり大きかったことがわかってくる。今自分たちが憧れている世界の中に、実は自分たちの祖先の影響が多大にあるというのは、もう一度足元をしっかりと見ろと言われているような気がした。