2012年9月27日 麗江→大理
香格里拉を後にし、麗江という町へ。出発前に何人かの中国人に事件があったから今日本人が麗江に行くのは危ないよとアドバイス受ける。しかし、インターネットでは日本人が被害にあったという情報は全く出てこない。実はお金をもらってデモに参加した中国人がいたとか、デモ中に間違えて中国人が暴行されたとか、相手の揚げ足を取るようなニュースばかりで肝心の情報は何も報道されていない。これは日本だけではなく中国も同じだろうが、ますますマスメディアは信用できないなと思う。そんなことがあったので麗江は一晩泊まっただけで次の街大理に移動した。
大理はかなり大きな湖の横にある古い城下町でペー族という民族が暮らしている。まるで母の実家近く滋賀県の近江八幡のようだ。昨日は宿から1時間ほどかけて歩き湖を見に行った。城下町を出ると辺り一面の田園風景で、ちょうど稲刈りの季節だったのでたくさんの人が田んぼに出て農作業をしていた。母の実家は農家なので、祖父母の家に遊びにいったかのような感覚になる。日本を出る前に読みたいと思っていた本に中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』というものがある。結局旅の準備でバタバタしていて読めなかったのだが、この本の中で書かれているのは照葉樹林文化論という70年代の学説で、具体的には日本の生活文化の基盤をなすいくつかの要素が中国雲南省を中心として、西はヒマラヤから、東は西日本まで半月弧に広がる照葉樹林帯に集中しており、それらは共通の起源地から伝播したという仮説だ。実際に雲南省に来てみるとたくさんの共通点があり、知らない街だとは思えない。
湖畔で一人たそがれていると、薬丸裕英似の青年に話しかけられた。彼は中国語しか話せず、彼のiPhoneを使って翻訳し合いながら会話をする。やたら一緒にどこかに行こうと誘ってきたので、彼がおすすめする湖の反対側までバスで2時間かけて行ってみた。ちょうど昼時で一緒に雲南省のローカルフードを食べることになったのだが、出てきたのは生きている時の豚を否が応でも想像してしまうビジュアルの生肉だった。日本でも生肉は食べる?と質問され食べないことはないと答えたが、ここは道路も舗装されていないド田舎で保存方法は不明である。二三切れ食べたが、日本のレバーの事件が頭を過り、トイレに行くと言ってすべて吐いてしまった。申し訳ないが味も覚えていない。
今日は1人山へトレッキングに出かけた。地図がないので不安だったが、馬の蹄の跡を頼りに歩いていく。前日の夜に雨が降ったので、地面は土と馬糞でぐちゃぐちゃである。靴もズボンも大変なことになった。山を歩いていても植生がいつも歩いていた岐阜や京都の山と同じなので全く違和感がない。途中石畳の道がチラチラと現れる。今まで旅してきた香格里拉、麗江、大理には唐代から1000年もの間続いた『茶馬古道』という道があった。雲南省で採れた茶葉をチベットまで運び、チベットからは馬を運ぶ交易路だ。この道がその跡かは分からないが、時間があればこの茶馬古道に関してももっと調べてみたかった。今回はもう時間がない。雲南省だけでもあと1ヶ月は旅をしたい・・・
夜はホステルで仏教徒のドイツ人おばあちゃんと、2年かけて自転車で世界を旅しているスウェーデン人の夫婦とチベット自治区の問題に関して話をした。まあ僕は聞いていただけだが・・・思うことはあってもそれを伝えるほどの英語力がない。
※茶馬古道でお茶の話が出たのでついでに、諸説あってどれが正しいかわかりませんが、一説では日本にも鎌倉時代初期にお茶が伝えられたといわれています。(茶も照葉樹林)その日本で最初に茶の木を植えたのが京都の高山寺だそうで、今でも茶畑があります。僕はこのお寺が京都の中で一番好きです。ちょっとアクセスは大変ですが、おすすめです。
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