2011年7月25日月曜日

石転がって


たとえば、岩壁が崩れ大きな石が谷に落ちる。
石は川の流れの中で止まり、川の流れを遮断する。
川はそれまでと同じように流れることは不可能になり、新たな流れをつくり始める。
もし、長い時間が経ち、この大きな石をどかしたとしても、川は石が落ちてくる前の流れと
全く同じように流れるわけではない。すでに大きな石によって周りは様変わりしている。
また新たな流れができるのだ。

すべてのことはこのたとえと同じだと川を見ながら考えた。

この川に住む魚にとっては、石が落ちてきたことも石がなくなったことも大きな事件である。しかし、産卵の為に毎年この川に遡上してくる魚はどうだろうか?もちろん大変な事に違いはない。しかし、どこか遡上をしてくる旅慣れた魚は、このような変化を深刻には捉えない気がしてならない。

いい意味でも悪い意味でも旅をするものは身軽なのだ。ひとつは変化することに慣れていること。もうひとつは被害や責任が少ないこと。

2011年7月18日月曜日

またひとつ


先日またひとつ歳を重ねた。
毎年思う事だが、家族、友人、後輩たちにお祝いをしてもらい自分が本当にたくさんお人たちに支えられている事を実感する。逆に自分はみんなの為に何ができているだろうか?社会や環境に対してアクションを起こす事は大切だが、それと同じ分だけ、それ以上に自分の周りの人の為に動く事が大切なことだと思った。そこが一番リアリティーがある場所なのだから。
また、この歳は両親の間に自分が生まれた歳でもある。今の自分が子供をつくることなど想像もできない。きっと大変だっただろう。ある日突然親になるのだ。よくここまで育ててくれたものだ。
今年は大きく人生が動く予定だ。動かしたいと思っている。そのためには目の前にある事を誠実に確実にこなしていくべきである。そしてどんなことでもそこに何かを学ぼうとする姿勢が大切だ。最近ただ毎日をこなすだけになっていた自分を反省した。さて次の誕生日はどこで誕生日を迎えているだろうか?

とにかく常に自分を動かし続けること。

2011年7月10日日曜日

同じ名前の村


暑い‥‥家がサウナのよう。

さて先週末は、この暑い盆地を離れ奈良県の川上村という場所に行った。関西に来てからずっと紀伊山地に行きたいという想いがあったのだが、結局行けないまま7年ほど経ってしまった。やっと行ける時間ができたので、どうせなら自分と同じ名前の村に行ってみる事にした。
川上村にはコンビニが一件もない。スーパーさえも一件もない。あるのは人工林の山と深い谷、川、公共施設、そしてダムである。公共施設とは村営温泉旅館に図書館、芸術家の滞在型アトリエ、川の博物館などなどで、とにかく数が多いように感じる。それはがきっとダムの力だろう。この村を見ているとよく分かる。詳しくは→大滝ダム
私たちが住む都市は色々物事が見えないように作られている。騒がれている原発もそうだが、都市からは慣れた場所にダム、ゴミ処理場、発電所などがあり都市の生活を支えている。その土地の人々はそんな施設のすぐ近くで慎ましく生活をしている。

また、翌日には大台ケ原という高原をトレッキングした。車で1500メートル程まで上がれるここはハイキング気分で誰でも高山を楽しめる場所だ。おすすめである。奈良といえば鹿だが、高山の霧の中で見る奈良の鹿は新鮮であった。
全国に川上村はまだいくつかあり、いつかすべての村に行ってみたいものである。



2011年7月2日土曜日

続 作る場所


連日うだるような暑さで、エアコンのない我が家にいるとまるでサウナのように汗が吹き出る。今年の梅雨はどこに行ってしまったのだろうか?こうも降らないと水不足や農作物の事が気になってくる。

先日の先生、先輩の工房見学に引き続き、先週末も先輩夫妻の住居兼工房見学をさせていただいた。滋賀の琵琶湖大橋の近くの古い住宅街の中に先輩は夫婦と猫一匹で住んでおり、そこで制作もされている。先輩の家は一軒家で土間があり、いい感じの縁側もついている。建物自体は非常に古いのだが、骨董を集める趣味がお二人にはあって、世界中で集められた物たちが家の雰囲気にとても良く合っていた。
家を一通り見学させていただいた後、先輩のびっくりするようなおいしさのごはんをいただき、3時間ほど人生相談をしていた。お二人は旅行をよくされていて、特に奥さんはホームステイや1ヶ月の長旅をされて、海外への移住まで考えられたそうである。そんな奥さんの言葉で非常に印象的だったのは、「昔は海外のことばかり考えていたし、あちらに住んで制作したいと考えていたけど、時が経つにつれあちらで経験できる事がこちらでもできると思った。」というものである。もちろん奥さんはさんざん通った上で出た考えで、今でももし機会があれば行きたいという事だったが、自分も今後海外を回ってみて、最終的に同じような考えにいきつくのだろうかと考えながら電車に揺られて京都まで帰ってきた。