2011年6月20日月曜日

あの頃は


夜遅く外に出たい衝動に駆られ、自転車で20分ほどの場所にある本屋へ行く。
この本屋は全国に支店があり本に限らず若者向けの様々なものを売るお店である。

高校生の頃生まれ育った場所では音楽番組に出ているような歌手のCDしかお店にはなかったし、本屋も特殊なものを売る店はあまりなかった。
そんな中で上記の本屋が自転車で1時間の場所にあり、部活の合間を見つけてはよく足を運んでいた。そこにはアングラな若者文化が所狭しと並べられていて、行く度に興奮していたものだ。毎回1時間はその小さな店で遊べた。
しかし、それから8年ほどが経ち、その店に足を踏み入れるといかにもチープで表面的な印象を受け10分も中にいることができなかった。これは、このお店の批判がしたいわけでは決してなく、歳のせいもあるだろうが自分が都市の文化にどっぷりと浸かってしまったと感じたのだ。

高校時代に外に出たいという欲求をそうとう溜込んだ私は、京都に引っ越してきたその日に親を見送るや否や同郷の友人と自転車で中心街のクラブに向かった。CDの中でしか聴いた事のないDJが京都には定期的に来てイベントに出ていた。夢のように感じた事を覚えている。今ではどんなに好きなアーティストでも、また来るだろうとめんどくさがって行かないほどになってしまった。ここまで文化的な欲求に満たされてしまったら、もう一度田舎に住む事などできないのではないかと思う時がある。幸い当時よりインターネットが発達した分、田舎の生活も変わってきているのだろうが‥‥。田舎で身体に生活を近づけたいと常々言っているにも関わらず、ここは矛盾している。

どちらにしても、高校生の頃のあの貪欲さは見習うべきだなと感じた。


高3の頃偶然夜中のテレビでこの映像を見てどれだけ興奮した事か。久々に見て再度興奮してしまった。

2011年6月17日金曜日

作る場所


梅雨の長袖だと暑く、半袖だと少し寒い毎日

先日京都の宇治にある先生の工房にお邪魔した。
お父様の代から使用されている工房で、山の中にポツリと立っている。庭には梅などの木が生え、筍もいたるところから顔を出していた。きれいに整頓された工房からは、1mm単位まで神経を注ぎ作品を制作する先生の姿が想像できた。
その後、日頃からお世話になっている先輩の工房に遊びに行く。こちらは古い陶器店の跡で廃墟好きの人にはたまらない空間である。現在も自分で改装されている最中で、掃除から始まりすべてを自分の理想に作り替える作業はものづくりをしている人間にとってはたまらないものがある。先輩はこの工房を“大きなおもちゃ”だとおっしゃっていた。今後の改装計画を話すその顔はまさにおもちゃを前にした子供の様である。

どちらの工房でもその人が匂う。場所は人を記録する。
そういった痕跡からその場所で営まれた生活や主の性格を想像するのが楽しい。
自分もそんな“おもちゃ”をいつか持つのだろうか?

2011年6月10日金曜日

ヨウルのラップ


昨日今日と湿度が高く、少し動いただけで汗をかいてしまう。
季節の変わり目。

友人の写真集が、今日リトルモアから発売された。
近くの恵文社という本屋に行くと、入口すぐの場所にその写真集はあった。
発売日だと言うのにもはや残り一冊しかなく、急いで手に取りレジへ向かう。
一つ上の学年で、バイト先も一緒だった彼女は、とても不思議な人だった。
そして写真集もやっぱり不思議。これからこの不思議なパズルをじっくり解く。

毎日なんやかんやと遊んでいるみんなが、様々なメディアに露出しているのを
最近よく見る。みんなやってるな‥‥やんなきゃな。

成田 舞 写真集「ヨウルのラップ」littlemore


2011年6月7日火曜日

土地に呼ばれる


先週末の3日間は仕事で石川、福井にいた。

この1年間でこの土地に足を運ぶのは5回目である。
その土地が大好きで何度も足を運ぶ土地がある。長野など何度行っているかわからないほどだ。しかし、この1年間石川、福井へは意識をして行っているのではなく、偶然が重なって5回も足を運ぶ事になった。このような事はたまにある。それまで意識をしていなかったにも関わらず、偶然何度も訪れる機会ができ、その度に魅力を発見し、どんどんその土地にはまってしまう。好きで足を運ぶ土地とはまた違った偶然の発見、感動、出会いがある。

これはなんだろうか?何かその土地に呼ばれているような気がしてくる。