2011年11月28日月曜日

電池がなくなるように


京都は紅葉が見頃になり、一年の中でもかなり観光客が多い時期になってきた。人との待ち合わせの時刻に遅れそうになることもしばしばである。

先週の祝日から五日間連続で移動と宴会を繰り返し、睡眠不足も相まって昨日の夜は完全にダウンしてしまった。無限に続くと思っていた体力が底をついたのか、どうがんばっても起きることができない。人に話しかけられているにも関わらず、曖昧な返事しかできず、終いには意味不明なことを喋っていたようだ。夢と現実の間にずっといるといった感じ。それで自転車に乗るものだから街路樹や看板に何度も 突っ込んでしまった。

しかし、体は正直だなと思う。もうやめときなさいというサインを出してくれる。つい無理をしてしまう質なのでこのサインがなければ、本当に倒れるまで無理をし続けるかもしれない。サインに従い今日はゆっくり寝よう。おやすみなさい。




眠りの一曲

2011年11月9日水曜日

知らない街に着いたら


神戸の老舗洋食屋さんにて先輩との会食。
会話の中で旅に出て知らない街に着いた時、まずどうするかの話になった。
先輩の答えは「トイレに入る」というもので、これは偶然にも自分と一致する答えだった。

自分はいつもトイレに入っている時(座る場合のみ)に自分が移動してきた距離を実感する。昨日の夜は自宅のトイレに入っていたのに、今はこんな知らない街の雑居ビルの中でトイレに座っている。不思議だ‥‥とこういう具合である。考えてみれば当たり前の話で、トイレの中は誰に邪魔されるわけでもなく、冷静になって状況を整理できる場所である。きっと同じ様にトイレに入った時にいろいろ思考を巡らす人は多いだろう。

しかし、記憶の中にある最も強烈なトイレ体験は、誰にも邪魔されない場所ではあったが個室の中ではない。それはゴビ砂漠のど真ん中である。羊ばかりの食事で下して苦しんでいたにも関わらず、地平線に沈んでいく夕日がオレンジ色の線をかいた時、美しさのあまりいつの間にか泣いていたことを鮮明に覚えている。見渡す限り人っ子一人いない砂漠の中でのこの体験は、冷静になれるという前記のトイレとは真逆の、すべてを忘れてしまうようなぶっ飛び体験であった。