2012年5月26日土曜日

音楽のはじまり


長野県の農家に来て三週間が経過した。
当初興奮しっぱなしだった高原の風景にも慣れてしまい、そびえる八ヶ岳や道路に飛び出てくるリス、野うさぎ、鹿などの野生動物も当たり前になった。
こちらの人は八ヶ岳を「ヤツ」と呼ぶ。

苗植えをする韓国人のおばちゃん二人。二人は姉妹。近所でスナックを営んでおり、苗植えの時だけ手伝いにくる。三人で淡々と苗を植えていると、一人のおばちゃんが歌いだし、もう一人も違う歌を口ずさみだす。僕にはわからない言葉で二人はどんどん勢いづき声が大きくなる。何度も何度も同じフレーズが繰り返され、しばらくすると飽きたのか歌はだんだん尻すぼみになっていった。
その歌を聴いていて「音楽はこうして生まれた」という考えがふと浮かんだ。調べてみると、音楽の起源には諸説あるらしい。そのなかにやはり
労働起源説 リズム起源説(参考にしたのはこちら※個人の方がまとめられたもの)
なるものがあった。つまり人間は古代より集団を形成する社会動物であり、社会の中では共同作業が行われる。その際に掛け声や単純作業の効率を上げるためにリズムが生まれ、それが音楽に発展したというものである。やはりそうか。ということは様々な土地で生まれた音楽はその土地の気候や生活様式、労働内容によって違うということになる。考えてみれば当たり前のことなのだが、意識をしたことがなかった。音楽だけではない祭りや芸能、料理、建築、遊び・・・すべてのことが土地ありきなのだ。人が先ではない土地が先。


そして、私たちは明日も淡々と苗を植える。歌を口ずさみながら



2012年5月9日水曜日

その土地の時間


長野県八ヶ岳の東側の村でレタスの収穫バイトに来ている。
ここは標高が1200m程もあり、商店の袋詰めされた商品がすべてパンパンの状態で売られている。キャベツ・レタス・白菜の生産地として有名なこの村は4月から10月までたくさんの出稼ぎが働きにきており、現在は中国・フィリピン・インドネシアからの労働者が多いようだ。日本人はほとんど車で移動しているため、道を歩いているのは外国からの出稼ぎばかりで、様々な言葉が飛び交いまるでアジアの国を旅しているような緊張感がある。

この村に来てまだ一週間も経っていないが、既に二日ほど雨で休みになってしまった。畑は天気・土・苗などの状態でその日に出来ることが限られてくる。もちろんいろいろと計算して日々の仕事をするのだが、どうにもならないことがたくさんあるのだ。
ここに滞在しているといかに自分が人間が決めた時間(時間だけではなくあらゆる物事)に縛られて生きているか、また縛られることで安心しているかがよくわかる。それは誰かしらにとって都合がいいように作り出されたものだ。しかし、ここにはその土地の時間がちゃんと流れており、人だけでなく動物や植物もみな同じ土地の時間を生きている。仕事の始まりや終わり、休みも全ては土地との相談で決まる。ここでは3カ月間働く予定であり、その間にこの土地と人の関係を身体を使ってじっくり体験したい。

話はずれるがトラクターは見ていてかわいい乗り物だと思う。