2011年3月11日金曜日

映像の中で

東北が関東が、太平洋側の広い範囲が大変なことになっている。

映画でしか見たことないような映像がテレビやネットの中で流れている。
仙台の津波や気仙沼の火事、その映像の中に何百人(何千人かも)が取り残されており。
また、津波のあった海岸沿いでは何百人という死体が発見されているようだ。

まだまだ被害は拡大するだろうし、被災者の状況が正確にわかるのはもっと後になってからだろう。被災地の気温が明日の朝氷点下になるのも心配である。

同じ日本に住んでいながら、今いる京都では、テレビからなどの情報を除けば、いつもと何も変わらない日常である。しかし、800Km程北に進めば映像の世界が広がっている。隣の国で戦争が起こりそうでも、他人事のように感じてしまう日本人でも、このリアリティーは感じているはずである。

自分にはなにができるだろう。祈ることしかできないのか。目と鼻の先で、自分の行ったことのある土地で、たくさんの人が被災している。何よりも大切なのは行動である。日本人は本来、結いという習慣があったようにみんなで支え合いながら生きてきた。どれだけアメリカナイズされたとしても、その風習はなくなっていないはずである。たくさんの人々が行動をおこしてほしい。日本の本当の良さが出てほしい。

↑この中学生のおかげで、テレビがない私も被害状況を把握できた。

2011年3月2日水曜日

山の国



生まれ育った岐阜県は山と川の国である
人々は日々山と川を意識して生活している。

ある雑誌の記事で興味をもったライター/イラストレーターの方がBLOGで
山の奥深くにある、混沌としたもののなかから「自然の秘密」を掴み出すことはできないだろうか。「自然の秘密」を「境界」へと掴み出したとき、それは「境界」から湧き立つ霧のように、言葉となり、絵となる。あるいは写真となり、詩となり、歌となり、物語となるのだと思う。「自然の秘密」=「素材」。「境界」を「生まれる場所」とするならば「山」は(「素材」を)「生む場所」と言えるかもしれない。」
ということを書かれていて、同じように山をテーマに制作活動をしている人間として、とても共感した。意識をしだすと、手に取る雑誌のほとんどに彼の絵や文章が載っており、偶然にも彼とは同郷であった。これは一度会いたいなとコンタクトをとってみると、現在、山の中に自分一人で小屋を建てているところであり、その小屋も見せてくれるという。実家に帰ったタイミングで会いに行った。

迎えてくれた彼は、文章や絵から想像していた通りの穏やかそうな人で、建設中の小屋を案内してもらった後、同じ敷地内でお姉さん夫妻がやっているパン屋兼喫茶店に招いてくれた。実際話をしてみると、話題が尽きず、お互いに細かい説明をせずとも話が通じた。人と話をしてこんな感覚になったのは久しぶりである。同じような人物、土地、歴史、風習、芸術などに興味を持っていて、同郷にこんな人がいたのかと興奮しっぱなしの自分がいた。

その中でも岐阜出身の芸術家や小説家、音楽家などの作品にみられる共通性の話が面白かった。あまり派手ではないけれども、自然のリズムに寄り添うような空気感が作品に出ているという感想をお互いが持っており、それは少し控えめであり、同じように山で有名なお隣長野県とはまた違うのだ。彼の文章や絵にもまた私は同じものを感じる。はたして私の作品はどうか?

彼は絵と文章で生活をしている。私はまだ、今後どのように生活していこうかと考えている段階である。自分とあまり年齢も変わらない彼の存在はとても刺激的で、とても参考になった。
こうやってたくさんの人と繋がりながらゆっくりでいいから生き方を模索してゆこう。
生まれ育った土地で育んだ感覚を大切にしながら。

成瀬 洋平 papersky blog
http://www.papersky.jp/category/mountain/