2013年7月29日月曜日

ポートランド



2013729日 ポートランド


僕の28年間の人生の中で最も影響を受けた国。それは間違いなくアメリカである。まず意識せずとも日本自体がアメリカの影響下にあったし、物心ついてからも文学、音楽、ファッション、考え方・・・あらゆる面で海の向こうの大国(特に西海岸の文化)に刺激されてきた。その中でも最も訪れてみたいと思っていた街が、オレゴン州のポートランドだ。メキシコシティからLA、サンフランシスコと飛行機を乗り継ぎ、一日がかりでこの街にやってきた。当たり前だが周りは全て英語である。4ヶ月近くスペイン語圏で旅をしていたので、英語を聞いていると新鮮な印象を受ける。まるで映画の中にいるようだ(このあたりまさにアメリカの影響)

なぜポートランドか?日本で雑誌やインターネットを見ているとやたらこの街の話題が目に付いた時期があった。リベラルな土地柄、アウトドアスポーツが盛ん、zineという小冊子の発行も盛ん、環境に対する意識が高いなどなど・・・そのどれもがこの街の住みやすさ、面白さを押していた。またガス ヴァン サントという映画監督が好きなのだが、彼の映画はオレゴン州が舞台のものが多く、映画と同じ空気を感じてみたいというのもここに来たかった理由の一つだ。到着の翌日から街をあてもなく散策してみる。確かに本屋や雑貨屋、服屋、レコード屋、自転車屋、カフェなどどれも店主のセンスやこだわりが感じられ見ていて飽きることがない。財布の紐を縛るのも必死だ。また、かなりの数のローカルが自転車を利用していることが気になる。街自体がそれほど大きくないこと、どの道にも自転車専用レーンがあること、公共交通機関に自転車を乗せられること、そして人々の環境や健康への意識の高さがこういった状況を生んでいるのだろう。各お店の前に自転車置き場を設置していたりするので日本のように放置自転車だらけという場所も見なかった。そもそも皆自分の自転車を個性的にカスタムし大事に乗っているという印象だ。ヘルメット着用率も9割。

週末には街の中心の広範囲を歩行者天国にして大規模なマーケットが開かれる。陶器やガラス、木工、衣類・・・などを個人で制作している人々、マッサージや占いなどを生業にしている人々、ミュージシャンや路上パフォーマー、飲食の屋台がお店を出しているのだが、お客さんの数もすごい。毎週こうして人前でモノを販売したり、パフォーマンスできるというのは、定期的な収入を得る場があるということだし、手直ししたことに対してすぐにレスポンスを受けることもできる。個人で何かを始めようという人のチャンスの場でもある。買い手の方は、そこに行けば気に入った個人から直接モノを買ったり、マッサージを受けたりできるのだ。僕は面白い街というのは人の流れが活発な場所だと思っている。田舎から都市部に出て初めに感じたことがそれだった。人が動けばモノもお金も動く。そしてそこから新しいコトやモノが生まれていく。最近日本でコミュニティーデザインと言われているものも、様々なアイデアで新たに人の流れを作り、その場所に再度活気を呼び戻すものだと思う。これから僕が何をするかは分からないが、この街にはいろんなヒントがあるような気がした。

もう一つこの街の特徴は、郊外の自然の豊かさである。街からすぐのところに深い森がいくつもあり、その中に沢山のトレイル(山道)がある。完走()に丸1日かかる長いものもある。お金がない僕はこの街にいた6日間中2日間をこの森を歩いて過ごした。びっくりするのは森の中で出会う人の多さである。ある人は犬の散歩をし、ある人はトレイルランニング(山道を走る競技)をし、ある人は木陰で本を読んでいる。そこは深い森の中なのだ。日本で山を歩いている時の3倍は人に会っただろう。トレイルはどれも整備され、交差する場所にはすべてサインポールが立っている。それぞれにかかる時間が明記された地図もタダでもらうことができる。こういった工夫が老若男女全ての人が安心して森に入れる理由だろう。そして何よりここの人は自然の中で過ごすことが好きなのだ。日本のように格好から入るでもなく、日常着のまま散歩の延長で森に入る。

昔、僕の友人がボーっとしたいがためにわざわざ釣竿を持って池のほとりに座っていたが、ここでは一人でボーっとしていようが山の中で本を読んでいようが変な目で見られるようなことはない。それぞれが自分で心地よい時間の過し方を選んでいる。そして選べる環境がある。それはロンドンで見たGoogleのシステムと一緒だ。選ぶ自由とそれに伴う責任。それを皆が理解していることが大前提の社会。それが日本でうまくフィットするかは疑問だが。ずいぶん大人な社会だなと感心する。


※夏のシーズンポートランドでは市内や郊外でいくつも大きな音楽のフェスティバルが行われています。僕が滞在している間にもThe Flaming Lipsのライブがありました。ちょうど日本では友人たちがFUJI ROCKに行っているということもあり、めちゃくちゃ行きたかったのですが、旅終盤の僕にはとても手が出る値段ではありませんでした。残念。また来よう。


2013年7月24日水曜日

グアナファト→メキシコシティ



2013724日 グアナファト→メキシコシティ


旅に出る前、PCの壁紙をある街の写真にしていた。インターネットで偶然見つけたものだが、カラフルな家々が立ち並び、その真ん中にはシンボリックな教会がある。日が暮れるギリギリの時間帯で、まだ黒ではなく薄い青空の下、少しずつ街灯や家々の灯りがつきはじめているという写真。なんとなく気に入って、そこがどこなのか全く知らないまま長い間使っていた。
メキシコシティからバスで4時間。グアナファトという街まで移動。元々銀山で栄えた街らしく、一時期は世界の3分1の量が採れていたらしい。それで豊かになったためか、街は美しいコロニアル建築が立ち並ぶ。家々の下にはかつての坑道跡や地下水路跡が無数にあって、現在は地下道になって残っているのも面白い。夕方到着したのですぐにご飯を食べに行き、その後、街全体が見渡せるという高台に登ってみた。この街に来たのは初めてだが、そこからの景色には見覚えがあった。そう、ずっと壁紙に使っていた写真はここから撮ったものだったのだ。その街がメキシコにあるということも知らなかったのに・・・。ものすごく嬉しくなって急にこの街を身近に感じはじめる。観光地、そして学生の街のためか、夜遅くまで外で飲んでいる人がたくさんいる。またいたるところから楽団の演奏も聞こえてくる。しかし、うるさいという印象は全くなく、そういった音が街の雰囲気をよい意味で引き立てている。治安もよくいい街だ。

再度メキシコシティに戻り、お腹をこわして数日寝込んだ後、近代美術館や国立人類学博物館など沢山のミュージアムを回った。そのどれもが素晴らしく毎日お腹いっぱいだったのだが、中でも建築家ルイス・バラカンの自宅(世界遺産)はうっとりするほど美しかった。建築をやっている日本の友人や、旅で出会った建築家が皆「メキシコに行くなら行ったほうがいい」と勧めてくれていたので、予約をして行ってみた。家の中は数人ごとにガイドと一緒に回る。何よりも感動したのは光の取り入れ方だ。ほとんどの部屋に外光が差し込み、さらにそれを反射する金色の絵や金属製のオブジェが計算されて置いてある。その為部屋は電気をつけなくてもかなり明るい。そして実際に見える照明はほとんどない。間接照明が「そんなところに!」という場所に仕掛けられている。リビングにある大きく切り取られた窓からは庭の緑しか見えない。都会の真ん中にも関わらず、まるで山の中にいるような気分だ。いたるところに遊び心も隠れていて、それを発見する度見学者全員が唸るのである。建築とはこういうものなのだと初めてわかった気がした。僕が自分でモノを作ろうとすると、だいたい手の中に収まるサイズをイメージする。大きくてもせいぜい等身大だ。それ以上のものは自分一人で作れないし、自分一人で作れないということは自分で把握できないような気がしてしまうのだ。しかし、建築は違う。建築家が設計し、大工や様々な職人、沢山の人々が関わって建てられるのだ。そうして完成したものは、自分の思い通りになるのだろうか?そもそもよくそんなものを想像できるものだ。


一週間滞在したメキシコシティを後にして、本日アメリカのオレゴン州ポートランドに到着した。ここは最も来たかった街である。

2013年7月17日水曜日

プエブラ→メキシコシティ



2013717日 プエブラ→メキシコシティ


サンクリストバル・デ・ラスカサスから一晩夜行バスに乗り、プエブラという街までやってきた。首都メキシコシティから2時間、人口150万人を超える大都市だけあって、バスターミナルも今までの街とは比べ物にならないぐらい大きく、まるで空港のようだ。郊外にあるバスターミナルから街の中心部に入り、宿にチェックインを済ませると、ブラブラと街を歩いてみることにした。

いい街の条件とはなんだろうか。
ここまで旅を続けてきて、僕の好きな街にはいくつかの共通点があることがわかってきた。
・川や湖、海など水が街の中心にある。
・大きすぎない。
・活気のある市場がある。
・週末に青空市(骨董や個人作家の作品など)が開かれる。
・歴史的強度がある。
・良い美術館がある。
・おいしいコーヒーが飲める。
・くそみたいなPOPSを垂れ流していない。
こんなところだ。もちろんこれは100万人近い住民を抱えた街に限った話で、それよりも小さな町ではいいと思う要素は変わってくる。この条件を全てクリアするというのは難しいが、今まで訪ねた中では
・杭州(中国)
・イスタンブール(トルコ)
・ウィーン(オーストリア)
・アンマン(ヨルダン)
・コペンハーゲン(デンマーク)
・アントワープ(ベルギー)
・セビーリャ(スペイン)
・ビルバオ(スペイン)
といった街が、僕的には良い印象を持った街だった。そして新たにプエブラもその中に加わった。街の中心は植民地時代に作られたコロニアル様式の街並みで、メキシコらしく家はそれぞれカラフルにペイントされている。また、市場には野菜、肉、果物が山のように積まれ、その中でおじさんたちがトランプをしたり、おばさんが世間話をしていたり、子供が全力で遊んでいる。食堂もいくつかあり、横の人が食べていたサンドイッチを頼むと、とても美味しかった。プエブラはメキシコの中でも食文化が豊かな街らしい。週末には公園等に骨董品屋や工芸品屋が並び、ブラブラと散歩をしていたらあっという間に一日が終わってしまった。食堂のお兄ちゃんが「プエブラが気に入いったか?メキシコで一番の街だぜ」と自慢をしてきた。きっと住みやすい街なのだろう、こういった街のもうひとつの共通点は住んでいる人たちの顔がいいことだ。


プエブラからバスで首都メキシコシティへ。当初は乗り換えをしてグアナファトという街に向かう予定だったが、車に酔ってしまいシティで休むことにした。そしてこの街で誕生日を迎える。グアナファトで寂しく迎えるはずだった誕生日は、同じ宿の人たちに祝ってもらい記憶に残る誕生日となった。10代も20代前半も面白かったが、25歳以降さらに毎日が楽しくなっている。それは年齢や職業、国籍を超えて沢山の友人ができたからにほかならない。そしてこの旅でまた新たに沢山の人と知り合うことができた。皆が僕に沢山の刺激をくれる。大事なことは僕も常に刺激を与えられる存在でいることだ。そうやってみんなで切磋琢磨していれば、あの時がよかったなどと過去の思い出ばかりに縋ったり、自分の選択を後悔することもないだろう(それはけして悪いことではないが)

2013年7月11日木曜日

トゥルム→サンクリストバル・デ・ラスカサス



2013711日 トゥルム→サンクリストバル・デ・ラスカサス


目が覚めると、無数の鳥の声が聞こえてきた。相変わらず体は汗でベトベトするし、腕や足には寝ている間に蚊に刺された痕が数箇所残っている。それでも前日とは違い今日は清々しい気分で起きることができた。ここはジャングルの中にある街トゥルム。朝食の席で、この辺でどこか面白い場所はないかとドイツ人の友人に聞いていると、横にいたアメリカ人が「COBA遺跡に行くといいよ。あそこは本当にアメージングな場所だから」と話に入ってきた。少し距離があり、移動費もかかるがせっかくなので行ってみることにする。バスから降り、辺りを見渡すと思っていたよりツーリスティックではなく他の遺跡よりも観光客が少ないように感じる。アメリカ人が言うには「COBAは他の遺跡と違い、あまり木を切っていないんだ。ジャングルの中の秘境という感じだよ」とのこと。確かに入場ゲートをくぐっても遺跡らしいものは見当たらず、どこもかしこも木ばかりだ。遺跡はかなり広範囲に点在していた。小さな建造物を見ながら奥へ奥へと進んでいく。木々が日陰を作ってくれているので、街の中よりもよっぽど涼しい。辺りにはまだ植物に覆われた発掘されていない建造物が無数にある。また色とりどりの蝶がたくさん飛んでいる。人間が奪った陣地を自然が少しずつ取り返しているかのようだ。30分ほど歩き続けると、視界が開けとてつもなく大きなマヤピラミッドが姿を表した。かなりの勾配の階段をほとんど四つん這いになりながら頂上を目指し登っていく。

2日前コスメル島から、空港で会ったドイツ人の友人が滞在しているトゥルムへと移動してきた。友人が宿泊している宿に行ってみると、若い欧米人だらけで、みな水着のみを着用し、酒を飲んで盛り上がっている。苦手なタイプの宿だ・・・とりあえず荷物を置いて外に出る。何をするでもなくブラブラとしているとあるアメリカ人が話しかけてきて、なんやかんやとするうちに僕は彼に騙されてお金を少し失った。他にもあまりの蚊の多さや、翌日に行った遺跡の期待はずれ具合で僕は完全に投げやりな気持ちになり、それを全て土地のせいにして、外で皆が盛り上がっている中ベッドで音楽を聞いていた。しかし、音楽を聴いていても気分が晴れるわけでもなくモヤモヤするばかり。それで寝る前に思ったのだ。もっと丁寧に毎日を送ろう。目の前で起こることをひとつひとつしっかりと拾っていこう。

息を切らしながらやっとの思いでピラミッドに登りきる。振り返って見るとどこまでもジャングルが広がっていた。来てよかった。全ては気の持ちようなのだ。昨日のままでは朝の鳥の声や、沢山の蝶、植物の飲み込まれた遺跡に気づくことができただろうか。多分出来なかっただろう。たぶんこの遺跡にも来ていなかった。

一日遺跡を堪能した後、トゥルムに戻り、夜行バスでサンクリストバル・デ・ラスカサスまで移動してきた。標高が2200mほどあるこの街は植生も気候も変わる。ねっとりとしたあの鬱陶しい湿度はない。蚊もいない。しかしバスの座席で拾ってしまったダニに体中を刺され、ずっと痒み耐えて3日間を過ごした。自分の革を剥ぎ取って洗濯をし天日干ししたいぐらいだ。特に何をしたわけでもなく、この街を後にする。

2013年7月6日土曜日

リマ→カンクン→コスメル



201376日 リマ→カンクン→コスメル


2ヶ月と少し滞在した南米を後にする。クスコから22時間バスに揺られ、リマの空港に14時間滞在し、そこから飛行機で10時間。まる2日間を移動に使いメキシコの大西洋側、カンクンという街に到着した。リマからずっと移動が一緒だった世界一周中のドイツ人女性は、メキシコから南米に飛んだのだが、南米が寒かったのでまたメキシコまで戻ってきたのだという。飛行機から一歩出るとむわっとした熱帯特有の空気が全身に絡んできた。このような空気は東南アジア以来である。そして僕はこの空気があまり得意ではない。対照的にドイツ人の友人は隣で「ああ、この空気!戻ってきたわ!!!!」と興奮しきっている。リゾートとして有名なカンクン。みな開放的という言葉がぴったりな服を着ている。標高も高く、乾燥していたクスコ仕様の服を着ている僕は完全に浮いていたので、とりあえずトイレで服を脱いだ。

カンクンの街では、半年前にエジプトとトルコを一緒に旅した同世代の友人と再会をした。コンビニでビールを買い、公園のベンチに座る。公園内にあるステージでは大人数のバンドが陽気なメキシコ音楽が流している。オーディエンスもステージに上がり、どこからがステージで客席なのか区別がつかない。湿度、音楽、薄いビールがメキシコに来たことを実感させてくれる。いろいろな土地を俯瞰的に眺めるのが僕の旅ならば、友人はローカルの人々の中に飛び込み、人と沢山コミュニケーションを取りながらその国を見ていくというスタイルで旅をしている。元々英語は堪能だったが、さらにスペイン語まで話せるようになっていた。お互いに半年間に考えたことを夜遅くまで話し合った。スタイルは違えど、僕たちが旅の中で気づいたことはほとんど同じで、お互いにこれでいいのだと確認し合った夜だった。

カンクンには3日間滞在し、近くにあるコスメル島という場所に別の友人が滞在していたので会いにいくことにした。現在メキシコは雨季で、カンクンは連日雨が降っていたが、このコスメル島では幸い天気に恵まれ、連日海に泳ぎに行くことができた。エジプトのダハブでシュノーケリングをして以来の海だ。ここの海はまさに南国の海といった感じで、岸から沖にかけて、透明から深い青へと色が変わっていく。内陸の夏といえば海よりも川という土地で育った僕には、海はあまり縁のない場所だ。しかし、エジプトの時同様一度海に入ってしまえば珊瑚の形、魚達の模様などに目を奪われる。知らない世界を知ってしまった思春期の青年のような心境。もっと早く海の中を知っていれば、僕はまた違った作品を作っていただろうか?


毎日海で遊び、酒を飲んで疲れて寝るという健康的な毎日を過ごしたコスメル島を後にし、本日再び本土に戻る。ここからはリゾートではなく、もう少し土着的な文化を見ていきたい。